今朝の、「日めくり万葉集」の、再放送も、
セレクションで、前に見たものであった。
前に見たときも、ぐっときたはずであるが、
今日は、あらためて、ぐっときた。
自分の感受性というものが、
前回より増したのじゃないかと、錯覚するほどに。
今朝も五首、皆、良かったが、その中から一つ。
「射ゆ鹿を 認ぐ川辺の 和草の
身の若かへに さ寝し子らはも」
作者未詳 (巻16・3874)
(訳)
弓で射られた鹿のあとを追って行く
川辺の柔らかい草
私は思い出す
その草のように私が身も心も若かった頃
抱いた乙女を
選者が、こんなふうに言っておられた。
弓にいられた鹿が、草の上に、倒れている、
その草の柔らかいのを見て、作者は、
自分が若かったときに、草の上に寝転んで、乙女を抱いた、
そういうところを、思い出したのかもしれない、と。
草に寝転んで云々、という、思い出は、
残念ながら、僕には、ないはずであるが、
この、作者にも、選者のお話にも、
強く感情移入していたのであった。
洋司
セレクションで、前に見たものであった。
前に見たときも、ぐっときたはずであるが、
今日は、あらためて、ぐっときた。
自分の感受性というものが、
前回より増したのじゃないかと、錯覚するほどに。
今朝も五首、皆、良かったが、その中から一つ。
「射ゆ鹿を 認ぐ川辺の 和草の
身の若かへに さ寝し子らはも」
作者未詳 (巻16・3874)
(訳)
弓で射られた鹿のあとを追って行く
川辺の柔らかい草
私は思い出す
その草のように私が身も心も若かった頃
抱いた乙女を
選者が、こんなふうに言っておられた。
弓にいられた鹿が、草の上に、倒れている、
その草の柔らかいのを見て、作者は、
自分が若かったときに、草の上に寝転んで、乙女を抱いた、
そういうところを、思い出したのかもしれない、と。
草に寝転んで云々、という、思い出は、
残念ながら、僕には、ないはずであるが、
この、作者にも、選者のお話にも、
強く感情移入していたのであった。
洋司