昨日は、
奈良まほろば館。
万葉古代学研究所・東京講座「万葉集」一二五〇年紀に、参加。

万葉集の最終歌、大伴家持の、

新しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いや重け吉事

が、詠われたのが、天平宝字三年(759年)ということで、今年は、
一二五〇年紀。

ただ、今言われる、万葉集全二十巻が、成立したのがいつなのか、
はっきりしたことは、わかっていない。

巻頭歌は、雄略天皇(在位456~479)の歌。

本格的な、万葉時代の幕開けは、
舒明天皇(在位629~641)の時代。

聖徳太子の歌もあるし、
浦島太郎のお話の原型のような長歌もある。

伝説のようなものから、
大伴家持のメモみたいなものまである。

もともと、文字のなかったところに、中国から漢字が入ってきた。
やがて、いわゆる、万葉仮名として、その漢字を、上手く日本語に、
当てはめたり、時には、言葉遊びやら、暗号のように、
最先端の文字というものを駆使して、歌は記録された。

声に出して詠い合うだけでも、すごくスリリングなのに、
それが、文字というものを使って、どんなふうにでも書き留められ、
しかも、漢字を知っていれば知っているほど、
様々なテクニックを見せ付けることもでき、
それを、今、ここにいない相手に、送ったりできる、など、
ものすごい、興奮があったんじゃないか、と僕など、それを想像して、
興奮する。
実際、一四〇〇年後の、ここに、歌が届いているすごさ。

しかし、その万葉仮名で、書かれた万葉集は、
平安時代になると、もう、だいぶ、読み難いのもになっていて、
このままでは、万葉集を誰も読めなくなってしまう、
というので、上からの指示で、当時の学者らが、解読。
鎌倉時代になって、仙覚というお坊さんが、がんばって、
まとめたり、江戸時代になって、印刷によって、広まったり、
いろんな人たちの研究で、
今、僕らは、読みやすい漢字と平仮名で書かれた万葉集を、
読むことができる。
また、原文の万葉仮名で書かれたものと比べて見て、
楽しむこともできる。
それでも、まだ、読めないといわれるもの、
難解なもの、説の分かれるもの、が、
あるのである。

原本は、残っていない、とされているが、
聖書の死海文書みたいに、
ある日、思いがけないところから、
万葉集の原本が発見されたり、したら、すごいなぁ。

家持が、切ったり貼ったりした、巻物が、
見つかったりなどしたら、僕のような素人ですら、
ひっくり返る。

「新撰万葉集」(寛平五年〔893〕菅原道真撰)序文には、
万葉集が数十巻にまとめられ、
櫃に収められてしばらく人目に触れなかった、とあり、
少なくとも、九世紀前半には、「万葉集」と呼ばれる本が、
あった、ということがわかるそうである。

それが、今いうところの「万葉集」と同じものかどうかは、
わからない。

しかし、どこかの櫃の中を、探してみれば、
まだ、なにか、出てこない、とも限らない。

ちょっと興奮して、長くなってしまった。
本日はこのへんで。

洋司