昨日は、昼間、ある方から電話。
久しぶりのオフを、木漏れ日のカフェで、
一人、お酒を飲みながら過ごしていると。

後ろから、お店の音楽や人の声などが、
聞こえてきて、楽しそうである。

ここは、僕も出動して、
普遍と新しい表現、
アメリカとヨーロッパと日本、
モノラルとステレオなど、
じっくりお話をお聞きしたいところであったが、
取り組んでいることがあり、
電話だけの、数分の交流であった。

昨日は、ここに、三島のことを書いたから、
夜になって、走るときも、
ちらちら、「憂国」の場面が浮かんできたりした。
市ヶ谷の三島の姿だったか。

書いていることにのめりこむことは、
少なからず、あろうと思う。

いや、そこは冷静に、といってみても、
よく脳が働くほど、思考妄想入り乱れ駈け巡ることが、
あるのかもしれない。

冷静なら、あんなことしないだろう、
と、思ったりするが、
そんな考えの、遥か彼方に、いらっしゃれば、
そこに道理が、存在するのかもしれないし、
僕らには、わからぬことである。

「憂国」は、何回も読んだ気がするが、
二二六の外伝として、これも、本当にあったことみたいな、
気がして、読んだものであった。

さて、本日も、のめりこむが、
こちらは、なにしろ、
やさしさ、愛しさ、大人、男、かっこよさ、かっこわるさ、
そんな単語ばかりが、繰り返し繰り返し、
ノートを汚しているのであった。

洋司