8月の終わりに、ファンクラブの集いを、
開催させていただくのである。
おしゃべりもあるが、
歌がメインの催しとなろう。
このところ、The東南西北があったので、
その曲をずっとリハーサルしていたから、
ソロ名義の曲を演奏するとなると、
すでに、懐かしい。
オレンジ色のグレッチを出して、
スタンドに立てかける自体、
それなりの、圧迫感というか、
ぎらぎら感がある。
ここ数ヶ月は、部屋には、
オールドのストラトと、
ゴダンのガット、
プレシジョン、
が、いつもスタンドにあるのである。
ストラトとプレシジョンは、ともに、
ブラウン・サンバーストで、
ゴダンは、黄土色。
落ち着いた色合いである。
グレッチが出てくると、
赤オレンジで、ハデだし、大きい。
ペグも、金色だし、
螺鈿っぽい、指盤のフレットマークや、
べっ甲を模したような柄のピックガードには、
サボテンやらバッファローやらの、
ウエスタンな図柄があるし、
パワフルで、見るだけで、疲れる、
というと御幣があるが、
楽しいヤツである。
このグレッチ、
マイクは、ハイランダーに、
交換してある。
オリジナルのものが、壊れたので、
中身が、すっかり入れ替わった形。
元の、ジャックや、
イコライザーのつまみなどは、
無意味なものとなっている。
ちょうど10年前、
THE BOOMのコンサートツアーに参加させていただいた時、
入手し、全国30箇所ぐらいだったか、
さらに、その数倍のリハーサルもあったのであるから、
その移動、運搬で、少なからずダメージを受けたものと思われる。
「ブランカ」っていう、ガムランを含んだ名曲を、
演奏してるときの、このグレッチが、好きであった。
ゴダンも、ライブでの使用を思って、
生ガットではなくて、エレクトリックを入手したのであったが、
ラフなストローク中心の僕のライブでの演奏には、あまり合わない。
THE BOOMのツアーでは、ガットの曲は、ギターの小林さんから、
オベーションのガットをお借りして、弾いていた。
難曲もあり、ツアーの間、ずっとその練習ばかりしていた。
どこかの会場のライブで、宮沢さんのマイクにトラブルがあり、
音が出なくなったとき、
「久保田君、一緒にやろうか」と、
大きいホールで、
宮沢さんの生歌、僕のガットの生音だけで、
その「故郷」っていう美しいバラードを演奏したのは、
特に、思い出に残っている。
沖縄の楽器、三線も弾かせていただいたし、
パーカッションで、シェイカーやティンパレスも、
やらせていただいた。
今でも思い出すと、楽しさとともに、緊張がよみがえる。
ドラマーで、パーカッショニストの伊藤直樹さんから、いただいた、
ティンパレス用のスティックは、今も大事にとってある。
THE BOOMのツアー中も、ホテルで作詞をしていた。
フロントに頼んで、ファックスをしてもらったものであるが、
「切なさのすべてをかけて僕は信じるハートは届くと」
などと書いた紙を、
フロントの人に渡すのは、なんだか、
照れくさいような、どこか誇らしいような、
楽しい気分であった。
つい、ギターの思い出を書くと、長くなる。
それだけ、長い親密な付き合い、ということか。
「集い」に向け、リハーサルなどで、
また、暑い中、グレッチを持ち歩くのが、
楽しみになってきた。
洋司
開催させていただくのである。
おしゃべりもあるが、
歌がメインの催しとなろう。
このところ、The東南西北があったので、
その曲をずっとリハーサルしていたから、
ソロ名義の曲を演奏するとなると、
すでに、懐かしい。
オレンジ色のグレッチを出して、
スタンドに立てかける自体、
それなりの、圧迫感というか、
ぎらぎら感がある。
ここ数ヶ月は、部屋には、
オールドのストラトと、
ゴダンのガット、
プレシジョン、
が、いつもスタンドにあるのである。
ストラトとプレシジョンは、ともに、
ブラウン・サンバーストで、
ゴダンは、黄土色。
落ち着いた色合いである。
グレッチが出てくると、
赤オレンジで、ハデだし、大きい。
ペグも、金色だし、
螺鈿っぽい、指盤のフレットマークや、
べっ甲を模したような柄のピックガードには、
サボテンやらバッファローやらの、
ウエスタンな図柄があるし、
パワフルで、見るだけで、疲れる、
というと御幣があるが、
楽しいヤツである。
このグレッチ、
マイクは、ハイランダーに、
交換してある。
オリジナルのものが、壊れたので、
中身が、すっかり入れ替わった形。
元の、ジャックや、
イコライザーのつまみなどは、
無意味なものとなっている。
ちょうど10年前、
THE BOOMのコンサートツアーに参加させていただいた時、
入手し、全国30箇所ぐらいだったか、
さらに、その数倍のリハーサルもあったのであるから、
その移動、運搬で、少なからずダメージを受けたものと思われる。
「ブランカ」っていう、ガムランを含んだ名曲を、
演奏してるときの、このグレッチが、好きであった。
ゴダンも、ライブでの使用を思って、
生ガットではなくて、エレクトリックを入手したのであったが、
ラフなストローク中心の僕のライブでの演奏には、あまり合わない。
THE BOOMのツアーでは、ガットの曲は、ギターの小林さんから、
オベーションのガットをお借りして、弾いていた。
難曲もあり、ツアーの間、ずっとその練習ばかりしていた。
どこかの会場のライブで、宮沢さんのマイクにトラブルがあり、
音が出なくなったとき、
「久保田君、一緒にやろうか」と、
大きいホールで、
宮沢さんの生歌、僕のガットの生音だけで、
その「故郷」っていう美しいバラードを演奏したのは、
特に、思い出に残っている。
沖縄の楽器、三線も弾かせていただいたし、
パーカッションで、シェイカーやティンパレスも、
やらせていただいた。
今でも思い出すと、楽しさとともに、緊張がよみがえる。
ドラマーで、パーカッショニストの伊藤直樹さんから、いただいた、
ティンパレス用のスティックは、今も大事にとってある。
THE BOOMのツアー中も、ホテルで作詞をしていた。
フロントに頼んで、ファックスをしてもらったものであるが、
「切なさのすべてをかけて僕は信じるハートは届くと」
などと書いた紙を、
フロントの人に渡すのは、なんだか、
照れくさいような、どこか誇らしいような、
楽しい気分であった。
つい、ギターの思い出を書くと、長くなる。
それだけ、長い親密な付き合い、ということか。
「集い」に向け、リハーサルなどで、
また、暑い中、グレッチを持ち歩くのが、
楽しみになってきた。
洋司