昨日、「日めくり万葉集」を見ていたら、
七夕にまつわる歌が紹介されていて、
そういえば、七夕かぁ、と思ったところであった。

七夕は、中国から日本に伝わったもので、
万葉集にも、七夕を扱った歌が、
いくつもある。

中国の七夕が、日本に入ってくると、
当時の日本の生活に合うように、
少しずつ、物語が変更されたみたいである。

例えば、当時の恋愛などというと、
夜、男性が女性の家に通うという、スタイルで、
男性は、だいたい、川を渡って、会いに行く、
という設定であるから、
七夕の物語も、それになぞらえるように、
牽牛が織姫のところへ、会いに行くお話になったとか。

中国では、織姫のほうが、出かけるそうである。

七夕歌は、万葉集巻八の秋の歌の中に、
まとまって出てくる。

大きい川だから渡れないなぁ、と歌ってみたり、
たったこれだけの、細い川だけど、
それがあるために、会えないなぁ、と歌ってみたり、
あるいは、天の川、などと言うから、七夕の歌のようであるが、
その、天の川、を取り外せば、ただの恋愛の歌と、
何も変わらない、つまり、人は、
その人の器でしか、考えられないものだ、
というようなお話を、
講座で、とっても、面白く聞かせていただいたことであった。

すだれ動かし秋の風吹く、というところで、
それが、七夕なんだとわかると、
あの人が、会いに来てくれたんだ、と感じるか、
単に、風が吹いているだけ、と感じるか、
答えはないけれど、
その風の歌い方が、好きである。

僕も、ずいぶん前に「たなばた」という歌を作ってみたことがある。

日本風のペンタトニックを使って、作りたくて、
あの、「笹の葉さらさら~」の
はじめのところを、もう一つ展開させたメロディーから、
歌いはじめたのであった。

七夕の夜は雨
この部屋でヘッドホンして
秋の歌作ってた
さよならの歌だった

などという、書き出しであったが、
秋の歌、というところが、
今、思うと、いい。

書いた当時は、万葉集のことは、
今よりさらに、よく知らないのであるから、
七夕は、夏なんで、
夏なのに、秋の歌を作ってる、というところに、
寂しい感じがしたものであった。
それと、和風なメロディーなのに、
ヘッドホンが出てくるところも、気に入っていた。

天気予報を見れば、明日も曇っているようで、
今夜は、もう会えないんだね、あの二人も、
という、歌詞のところを思うのであるが、
曇っていても、雨でも、
その雲のずっと上で、上手く会えるよう、
お祈りする。

尾道の商店街では、
笹の枝につるした短冊に、
「アンパンマンになりたい」
と、書いてあった。

そのあと、「芙美子」で食べたあんパンが、
美味かった。

洋司