大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)は、
大伴旅人の妹で、
大伴家持の叔母さん。
歌の才能も大変豊かで、
若い家持に歌を教えたりしている。
当時は、恋歌の形を使って、
歌をやりとりするのが流行っていたりするから、
坂上郎女と家持の歌のやり取りを見ても、
これは、恋人同士ではないか、
と思ったりするものもあるのであるが、
そうではなくて、
歌の楽しみとして、また、テクニックとして、
洒落ていたのである。
で、実際の恋歌の時には、その技術が、
役立ったことであろう。
その坂上郎女も、
稲刈りなどには、出かけていって、
氏をたばねるのであるが、
奈良から橿原にある竹田の庄まで、
今なら、電車ですぐの距離も、
当時は、泊り込みで行くわけである。
行って、田ぶせ、という竪穴式の仮小屋を
作って、そこに泊まるのである。
都が思われる、と歌う。
当時の奈良では、竪穴式住居は、すでに
仮のものであったが、
東国では、それがまだ、一般的だったそうである。
九州は、高床式である。
だから、東国の人が防人に、大宰府に行くと、
その進んだ暮らしに、皆、びっくりしたとか。
東国の人たちが、そこに、定住をはじめて、
家に帰らなくなって困った、
という文書が残っているそうである。
万葉集の歌を勉強しに行っているが、
当時の人たちの暮らしぶりなども、教わって、
とっても、面白いのであった。
洋司
大伴旅人の妹で、
大伴家持の叔母さん。
歌の才能も大変豊かで、
若い家持に歌を教えたりしている。
当時は、恋歌の形を使って、
歌をやりとりするのが流行っていたりするから、
坂上郎女と家持の歌のやり取りを見ても、
これは、恋人同士ではないか、
と思ったりするものもあるのであるが、
そうではなくて、
歌の楽しみとして、また、テクニックとして、
洒落ていたのである。
で、実際の恋歌の時には、その技術が、
役立ったことであろう。
その坂上郎女も、
稲刈りなどには、出かけていって、
氏をたばねるのであるが、
奈良から橿原にある竹田の庄まで、
今なら、電車ですぐの距離も、
当時は、泊り込みで行くわけである。
行って、田ぶせ、という竪穴式の仮小屋を
作って、そこに泊まるのである。
都が思われる、と歌う。
当時の奈良では、竪穴式住居は、すでに
仮のものであったが、
東国では、それがまだ、一般的だったそうである。
九州は、高床式である。
だから、東国の人が防人に、大宰府に行くと、
その進んだ暮らしに、皆、びっくりしたとか。
東国の人たちが、そこに、定住をはじめて、
家に帰らなくなって困った、
という文書が残っているそうである。
万葉集の歌を勉強しに行っているが、
当時の人たちの暮らしぶりなども、教わって、
とっても、面白いのであった。
洋司