曲の細かいフレーズや、ミックスを、
少し手直ししている。
ほんの1メモリの世界であるが、
楽しみながら、取り組んでいるのである。
ギターの20フレットめ、あたりになると、
そのスペースは、だいぶ窮屈なような気が、
昔はしたものである。
どうしてかと思うと、
中学生のころは、だいたい、
3フレットめ、ぐらいの広いところで、
コードを押さえたり、
フレーズを弾いたりしていて、
12フレットより高いところまで行くことは、
ほとんど、なかったのであり、
もう、その領域は、飾りのようなものだろう、
と、思ってもいたからである。
実際に、6弦の21フレットなど、
スケール練習で、無理して弾くぐらいで、
演奏で使うことは、ほとんどない。
飾りのように窮屈、と思っていた、
ギターのそのあたりを、
このごろ、ふと見ると、
けっこう、広いじゃないか、と、
感じてしまうのは、
やはり、
パソコン上の、1メモリの世界に、
いるからであろう。
なにかに、慣れていて、
それに合ったように体が動く、という、
この体の、なにが、それを覚えるのか、
と思えば、
そのへんに落ちている石も、
なにかを、覚えていそうな気がしてくるのであった。
洋司
少し手直ししている。
ほんの1メモリの世界であるが、
楽しみながら、取り組んでいるのである。
ギターの20フレットめ、あたりになると、
そのスペースは、だいぶ窮屈なような気が、
昔はしたものである。
どうしてかと思うと、
中学生のころは、だいたい、
3フレットめ、ぐらいの広いところで、
コードを押さえたり、
フレーズを弾いたりしていて、
12フレットより高いところまで行くことは、
ほとんど、なかったのであり、
もう、その領域は、飾りのようなものだろう、
と、思ってもいたからである。
実際に、6弦の21フレットなど、
スケール練習で、無理して弾くぐらいで、
演奏で使うことは、ほとんどない。
飾りのように窮屈、と思っていた、
ギターのそのあたりを、
このごろ、ふと見ると、
けっこう、広いじゃないか、と、
感じてしまうのは、
やはり、
パソコン上の、1メモリの世界に、
いるからであろう。
なにかに、慣れていて、
それに合ったように体が動く、という、
この体の、なにが、それを覚えるのか、
と思えば、
そのへんに落ちている石も、
なにかを、覚えていそうな気がしてくるのであった。
洋司