今朝、NHKの「日めくり万葉集」の再放送を、
見ると、「白真弓」という言葉に出会った。
天の原 振り放け見れば 白真弓
張りて掛けたり 夜道は良けむ
「日めくり~」のサイトから、口語訳を引かせていただくと、
大空を振り仰いで見ると
白木を真弓に弦を張って懸けたような月がでている
夜道は良いであろう
作者の間人大浦は、600年代半ばごろの人である。
そのころにはすでに、こんな表現があるなんて、
いいなぁ、と思うのである。
当時の人は、月を見て、いろんなことを考えたんだろう。
夜の空で、あんなに光っているものが、
だんだん、小さくなって、なくなって、また出てくるということが、
とっても神秘的だったり、生命を感じさせたり、弓に見えたり。
僕は、普段、弓を使わないから、
そこに、なかなか思い当たらないのである。
歌の詞に、月を、時々、書くことがあるのが、
万葉の頃の人たちと同じように、と思うと、
嬉しくなる。
「Misty Lola‐君の朝に逢いたい‐」という、
The東南西北の歌の冒頭、銀色のMoonってところ、
あの歌の、全体のイメージを印象付けていると思っている。
この歌のサブタイトルの朝は、あした、と、読むのであるが、
CDのタイトルなどには、振り仮名をふってないので、
普通に読めば、どうしたって、あさ、である。
歌詞を見れば、やっと、あした、と振り仮名が出てくる。
紛らわしいことである。
当時、サブタイトルに振り仮名をふるかどうか、
ディレクターと、話し合い、
僕が、高校の古典の授業が好きだったので、
わかるだろう、と言い、振り仮名は、つけないことにした。
わかるとしても、普通は、あさ、である。
「ドーナツ6」っていう早朝のテレビ番組のテーマソング、
ということもあって、朝の歌を作ったのであった。
聞いただけでは、明日(あした)の歌、である。
そう思えば、どちらにもとれて、
いい。
洋司
見ると、「白真弓」という言葉に出会った。
天の原 振り放け見れば 白真弓
張りて掛けたり 夜道は良けむ
「日めくり~」のサイトから、口語訳を引かせていただくと、
大空を振り仰いで見ると
白木を真弓に弦を張って懸けたような月がでている
夜道は良いであろう
作者の間人大浦は、600年代半ばごろの人である。
そのころにはすでに、こんな表現があるなんて、
いいなぁ、と思うのである。
当時の人は、月を見て、いろんなことを考えたんだろう。
夜の空で、あんなに光っているものが、
だんだん、小さくなって、なくなって、また出てくるということが、
とっても神秘的だったり、生命を感じさせたり、弓に見えたり。
僕は、普段、弓を使わないから、
そこに、なかなか思い当たらないのである。
歌の詞に、月を、時々、書くことがあるのが、
万葉の頃の人たちと同じように、と思うと、
嬉しくなる。
「Misty Lola‐君の朝に逢いたい‐」という、
The東南西北の歌の冒頭、銀色のMoonってところ、
あの歌の、全体のイメージを印象付けていると思っている。
この歌のサブタイトルの朝は、あした、と、読むのであるが、
CDのタイトルなどには、振り仮名をふってないので、
普通に読めば、どうしたって、あさ、である。
歌詞を見れば、やっと、あした、と振り仮名が出てくる。
紛らわしいことである。
当時、サブタイトルに振り仮名をふるかどうか、
ディレクターと、話し合い、
僕が、高校の古典の授業が好きだったので、
わかるだろう、と言い、振り仮名は、つけないことにした。
わかるとしても、普通は、あさ、である。
「ドーナツ6」っていう早朝のテレビ番組のテーマソング、
ということもあって、朝の歌を作ったのであった。
聞いただけでは、明日(あした)の歌、である。
そう思えば、どちらにもとれて、
いい。
洋司