UFOなど、見たことがないのであるが、
知り合いの中には、かなりはっきりと、
確実に、見た、とおっしゃる方もおられるのである。

車で走っていると、オレンジ色の巨大な光が、
真上にあった、とか、
山梨の山道で、目の前に、二つの光、
車の明かりかと思ったら、
ふわっと舞い上がって、
思いがけない角度で曲がって飛び去った、とか。

UFOなど信じないといっていたジョン・レノンも、
ニューヨークで目撃し、歌の詞に書いている。

疑うつもりは、全くない。
それどころか、信じる。
切なさのすべてをかけて、僕は信じる。

最近は、UFOがたくさんやってきているとか、
人類の、今の文明は、もうすぐ終わるから、
人を救うために、宇宙人がやってきているとか、
なにかで、読むことがある。

それについて、ここでなにか、言うつもりは、ないのであるが、
UFOを見ないのは、空を見ていないからです、
と、書いてあった。

一日のうちで、人は、どれぐらい空を見るだろう。

僕は、そう思って、ジョギング中に、
よく空を見上げるのであるが、
電信柱に、ぶつかりそうになるのである。

歩きながらや、ジョギングをしながら、
空を見るのは、危険であるから、
空を見上げるときには、立ち止まって、
見よう。

冬に比べれば、さすがに霞がかってはいるが、
星はいつも、そこで輝いていて、
その光は、もう、はるか昔から、
地球にも、届いている。

原始の想像力は、それを、神々とも見るのである。

初期万葉、人麻呂などの頃には、まだ、
原始の想像力によるところがあったそうであるが、
第三期ぐらいになると、もう、それを、テクニックとして、
歌に取り入れている。

本当に、そう見えた、というより、
昔の人が、そう見えた、と歌っているのを、真似て、
詠うのである。

となると、本当に目の前に、想像を超えるものが現れた時、
逆に、見えない、見ようとしない、ということが、起こり得る。

UFOなど、見たことがない、と書いたが、
見えていないだけかもしれないのである。

「会いたいんだ」というつもりが、なかなか切り出せず、
仕方なくUFOの話を、間抜けにしてる夜~。
って、歌を作ったことがある。

洋司