普段は見ない、新聞のテレビ欄やチラシを見たら、
そこに、ちょうど、知りたい情報があった、
などということが、よくあるのであるが、
これはもう、僕が、いかに、普段、
そういうところを見ていないか、
というだけで、
きっと、いたるところに、
知りたい情報は、あって、
僕は、ずいぶん見過ごしているのであろうと、
思うのである。

何かを、知りたい、ということは、
知るために、知りたい、というよりも、
その、知ったことを、
何かに役立てたいじゃないか、という、
これは、欲というものがあるのである。

欲、とタイプしようとして、良く、と出てきたり、
打ち間違えて、曲、と出てきたりする。

欲とは、良いことのようである。

「良いこと」、と打とうとして、間違えて、
「酔うこと」、と打ってしまって、笑ったが、
今度は、今、そのことを書こうとしたら、
「陽子と」、と出てきて、更に笑った。

陽子って、誰だろう。
この変換は、思わぬ変換をして、笑わせてくれる。

僕は、
急いでいるか、あわてているか、なのであろう。

ちょうど、今、プリンスの新作の、
発送を知らせるメールが届いた。

さらに、心は、浮遊する。

ちょっとくどいが、「浮遊」は、もちろん「富裕」と、
出てくれた。
心の浮遊は、心の富裕であるらしい。

なぜ、僕は、急いでいるか、あわてているか、
と思えば、取り掛かっている作業が、
いろいろあって、それが、面白いところであるからである。

気分が、高まっているときに、ばーっとやって、
後で落ち着いたときに、見直して、
意外な発見をするのが、好きである。

洋司