先日の、中河内さんのコンサートの時、
ご一緒した、作詞家の方が詞を担当された歌が
歌われていると、
そうと知った時点で、こちらも嬉しいのである。
よく知っている方の作られたものが、
今、ここで歌われている、という場面、
作者と共に、それを聞く、というのは、
なかなかに、嬉しいのもである。
何回も書くけれど、
それだけでも、
嬉しいんであるが、
いざ、自分の書いたものが、歌われると、
もう、別次元に、舞い上がるような、
気が動転するような、
息をするのを、忘れるような、
嬉しさがあるのである。
僕は、あまりそういうことに、
慣れていないのだと思う。
慣れなくても、いい。
なるべく、冷静に聞こうと心掛けるが、
他の曲を聞いている時や、
ご一緒した作詞家の方の作品を聞いている時と、
比べても、全然、
冷静ではないことが、自覚できるのである。
無理して、じっと聞いていようと、しているのが、
不自然なのである。
先日、電車に乗っていると、
女子高生が、会話の中で、
僕が詞を担当した歌を、歌っている場面に遭遇した。
すぐ目の前で、それを聞きながら、
まったく知らん顔でいるのは、
これも、なにやら硬直したような者になる。
ま、もともと、表情は硬い者であるから、
硬直しようが、ぼーっとしていようが、
さほど、見た目には、わからないのであった。
洋司
ご一緒した、作詞家の方が詞を担当された歌が
歌われていると、
そうと知った時点で、こちらも嬉しいのである。
よく知っている方の作られたものが、
今、ここで歌われている、という場面、
作者と共に、それを聞く、というのは、
なかなかに、嬉しいのもである。
何回も書くけれど、
それだけでも、
嬉しいんであるが、
いざ、自分の書いたものが、歌われると、
もう、別次元に、舞い上がるような、
気が動転するような、
息をするのを、忘れるような、
嬉しさがあるのである。
僕は、あまりそういうことに、
慣れていないのだと思う。
慣れなくても、いい。
なるべく、冷静に聞こうと心掛けるが、
他の曲を聞いている時や、
ご一緒した作詞家の方の作品を聞いている時と、
比べても、全然、
冷静ではないことが、自覚できるのである。
無理して、じっと聞いていようと、しているのが、
不自然なのである。
先日、電車に乗っていると、
女子高生が、会話の中で、
僕が詞を担当した歌を、歌っている場面に遭遇した。
すぐ目の前で、それを聞きながら、
まったく知らん顔でいるのは、
これも、なにやら硬直したような者になる。
ま、もともと、表情は硬い者であるから、
硬直しようが、ぼーっとしていようが、
さほど、見た目には、わからないのであった。
洋司