昨日は、座禅に参加させていただいた。
丹田(たんでん)に入る、というような言い方で、
座ったときの、体の位置を教えていただく。
両手で胸の辺りに、蓮の花の形を作り、
それを、額のところまで持っていくと、
花が、ぱっと開く。
その時に、丹田に入る、と。
横から押されても、ぐらつかないのであった。
気のせい、のようであるが、
まさに、
気、のせいのようである。
般若心経についても、
お話をうかがったり、
そこに集まった方々とともに、
声に出して、読経をするなど、
大変、いい体験をさせていただいた。
般若心経は、大勢で何十回も続けて
唱えたりすることがあるそうで、
そういうときには、すごいスピードで、
言うのだそうである。
教えてくださるお坊さんが、
ちょっと、やって見せてくださったが、
僕が、毎日、すごいスピードで、
言っているのも、
間違っていはいない
ということがわかった。
それから、般若心経は、
文字や意味で読むのではなくて、
音で読むと。
僕も、興味があって、
唱えたり、
少し、本を読んだり、
写経したり、しているけれども、
ある種、バーチャルなところから、
リアルの場に、ちょっと、おじゃました感じが
したのであった。
そして、リアルも、瞑想などということになると、
さらに、超リアル、超現実、
シュールレアリズムかぁ、と、
やや、話はそれるのであった。
しかし、一夜明けて、
いつも以上に、体調がいいような、
気もしているのであった。
洋司
丹田(たんでん)に入る、というような言い方で、
座ったときの、体の位置を教えていただく。
両手で胸の辺りに、蓮の花の形を作り、
それを、額のところまで持っていくと、
花が、ぱっと開く。
その時に、丹田に入る、と。
横から押されても、ぐらつかないのであった。
気のせい、のようであるが、
まさに、
気、のせいのようである。
般若心経についても、
お話をうかがったり、
そこに集まった方々とともに、
声に出して、読経をするなど、
大変、いい体験をさせていただいた。
般若心経は、大勢で何十回も続けて
唱えたりすることがあるそうで、
そういうときには、すごいスピードで、
言うのだそうである。
教えてくださるお坊さんが、
ちょっと、やって見せてくださったが、
僕が、毎日、すごいスピードで、
言っているのも、
間違っていはいない
ということがわかった。
それから、般若心経は、
文字や意味で読むのではなくて、
音で読むと。
僕も、興味があって、
唱えたり、
少し、本を読んだり、
写経したり、しているけれども、
ある種、バーチャルなところから、
リアルの場に、ちょっと、おじゃました感じが
したのであった。
そして、リアルも、瞑想などということになると、
さらに、超リアル、超現実、
シュールレアリズムかぁ、と、
やや、話はそれるのであった。
しかし、一夜明けて、
いつも以上に、体調がいいような、
気もしているのであった。
洋司