米大統領就任演説、
どんなことが、どんな言葉で、どんなふうに伝えられるのか、
ずっと興味があったので、
楽しみに、見たのである。

選挙の時には、いわゆるキャッチフレーズや、
広告的な技術で、人々の心をつかんだ、
というより、どこか、印象に残ろうという、
戦略に、こちら、ど素人も、少々心配になる感じが、
なくもなかった。

しかし、演説を聞いていて、
そうした、CMっぽい、衒ったようなフレーズは、
出さず、真面目に現実を語ったところに、
好感が持てた。

60年前には、同じレストランにも入れなかった男たちの云々
って言うところは、ちょっと泣けた。

アフリカの小さな村の子供たちが、
自分も、将来は、大統領になる、と
キラキラした目で、話す。
若者たちが、これで、差別もなくなるんだ、と
現実には今でも、そういうことが、言われている。

それにしても、こちら、同時通訳の、
時にこんがらがるような表現の
早口な言葉に、なかなかついていけなかったのも、
悲しい現実であった。

今、厳しい時にも、
我々の能力は、低下していない、
というようなことも言っていた。

また立ち上がって、歩いてゆくのだ、
というような、平凡なフレーズでも、
今、アメリカの大統領が、前を向いて、どうどうと言う、
というのは、大変なことであるとわかるし、
勇気付けられもする。

最後に、軽いキャッチフレーズで
締めくくってくれなくて、本当に、良かった気がする。

洋司