男らしさというと、
ま、いろんな意味があるとして、
ここでは、まず外見で、
髭が濃いとか、眉が太いとか、
骨格がしっかりしているとか、

そういう人を見ると、
僕などには、
子孫繁栄の面でも、
人類に大きく貢献しているように、
感じられるのである。

y染色体というのは、
どんどん小さくなっているそうで、
500万年もすると、
男は、いなくなるかもしれない、とか。

この「今日の出来心」にも、
一時期、男っぽい男の人が、
数十年前と比べても、少ないような気がする、
みたいなことを、時々、書いていた覚えがある。

僕らの、ちょっと上の世代の男性と比べると、
僕らは、男臭くない気がする、というような、
そんな話は、今も時々、友達のあいだで、出る。
友達というと、僕より、10歳前後年上の方々である。
もう、一世代上のような気もするが。

若者を見てみても、男臭そうな人が少ない気がする。

平安時代の男は、なよっとしていた、ということを
時々読むけれど、
あれも、その前の世代の人から比べると、
だいぶ、男臭さが薄れたと感じた、ということかもしれない。
そこに、文学の発展もあり、
そのような表現が、頻繁に現れてきたのではなかろうか。

江戸時代のお侍も、うっすら化粧をしていた、
などというのも、「葉隠」などに、あるのであるが、
話は、長くなるばかりである。

で、女性であるが、
これは、y染色体は、関係ないんで、
時と共に、女性の女っぽさが、薄れているというような感じは、
ない気がする。

額田王も、めざましテレビで見る街の女子高生も、
あまり変わらずに、
どこか、僕ら男には、
敵わないのものような、気が、してしまうのである。

洋司