万葉集の講座で、朝から出かけたのである。

今は、巻八の、夏の雑歌を勉強中。
(僕は、今年の夏ごろからの、途中参加なのであるが、
講座はこれまですでに8年、巻一からずっと続いているのである。)

こんな寒い日に、ほととぎすもないもんですね、と
先生も笑って話される。

万葉集の歌を、一首ずつ丁寧に、また、
関連することがら、例えば、中国の詩や、当時の生活、様々な説なども、
教えていただける。

万葉集の丈夫(ますらお)ぶりにたいして、
古今和歌集の手弱女(たおやめ)ぶり、
古今集は、持って回った、観念的ないいかたをするという、
このお話が面白かった。

古今集の歌人たちは、
万葉集の、悲しい、嬉しい、を生(なま)のまま言うのがいやで、
そういうことを、言わないで、表現するのが、プライドであった等々。
万葉集は、平安時代の人たちの感性には、
合わなかった、ということである。

素朴で、古臭いものに、感じたのかもしれない。

大伴家持の歌は、季節を暦法で切って歌うなど、
古今集っぽいものがあるというけれど、
古今集の、足元にも及ばないのだと。

そんなお話を聞いているだけで、体の中がじわーっとするほど、
楽しいのであった。

洋司