古賀森男さんがブログで、新作のビジュアルも完成し、それを見ながら、完成したばかりの音を聞くのは至福、というようなことを書かれていて、羨ましく思ったものである。こちらは、ミックスを終えたところで、もう聞き過ぎた感があり、マスタリングの確認をしてからは、しばらく聞けずにいたのである。そして、十日が過ぎ、その間、別の全精力を注ぐ作品作りにあたり、徹夜も続き、その明けた晴れ間に、撮影に出かけ、やがて、ビジュアルのほうのラフが上がってきた。音と合わせてみたのである。久々に聞くものは、すでに、ギターの音色が、コーラスのバランスが、ボーカルのレベルが、イコライザーが、コンプレッサーが云々ではなく、他人事のように聞けて、歌詞を中心とした歌そのものを、楽しむことができた。今まで、そんな聞き方をしたことがなかったかもしれない。この卑屈ゆえの愛しさというか、お前、なにをそこまで、みたいなところが、悲しいほどに良くて、ひょっとして、この作品の聞き方とは、こいういうことか、と初めて気がついたようなことである。ビジュアルのラフを見ながら、2回、聞いてしまったのであった。古賀さんの気持ちがわかったというところであろうか。夕方、その古賀さんと電話で話し、そのへんも伺うことができた。もちろん、ブログに書かれていることが、すべてでもないが、そこが分かり合えるのが、なによりというところである。

洋司