いつも走っている道のわきの草むら、このごろずいぶん草ぼうぼうで、数百メートルにもわたり、真っ直ぐな歩道に、いろんな草がはみ出し、元気なことであったが、今日は、すっかり刈られていた。夜でもまだ、むせるような草の匂いがあたりに立ちこめ、太陽と緑の残像をとどめていた。大きな機械で一気に作業したのかもしれない。
僕は子供の頃に、家の使っていない畑の草刈を、弟と二人でしたことがある。一人は肩からかける草刈機で、一人は鎌で、交代しながらやったのである。一日かかっても、畑の半分も刈れず、草や泥は容赦なく目や口に飛び込んでくるし、夏の日差しもあり、なかなかはかどらない。大変な仕事だと知ったのであった。
先日も、川の土手の草を、やはり肩からかける草刈機でエンジン音を響かせながら、草刈をしている人を見た。ご苦労様、と思いながら通り過ぎるのであるが、ファンとしては、草刈正雄の映像が、あれこれまぶたに展開するのであった。
洋司
僕は子供の頃に、家の使っていない畑の草刈を、弟と二人でしたことがある。一人は肩からかける草刈機で、一人は鎌で、交代しながらやったのである。一日かかっても、畑の半分も刈れず、草や泥は容赦なく目や口に飛び込んでくるし、夏の日差しもあり、なかなかはかどらない。大変な仕事だと知ったのであった。
先日も、川の土手の草を、やはり肩からかける草刈機でエンジン音を響かせながら、草刈をしている人を見た。ご苦労様、と思いながら通り過ぎるのであるが、ファンとしては、草刈正雄の映像が、あれこれまぶたに展開するのであった。
洋司