小学生の頃に、教えていただいた、習字の先生に、数年前にお会いしたのであるが、もう、こちらが名乗らないことには、見た目だけでは、お分かりにならない。先生は、お変わりなく、こちらは、すぐに分かるのであるが。それもそうであろう。小学生と、四十過ぎの者が、同一人物に見えては変である。
先日、近くを歩いているときに、前から来た、体格のいい男性に、挨拶をされた。見れば、数年前、僕がジョギングに出るときに、いつもバットの素振りをしていた、あの、よく挨拶をしてくれた中学生である。もちろん、もう中学生ではないだろう。髪も伸ばし、今風の服を着、うっすら髭も生やしている。すでに中学生とは違う目をしている。一瞬、分からず、人違いじゃないか、と危うくそのまま通り過ぎそうになってしまったのである。
僕自身のことを思えば、時々、徒然草や何か他でも読むし、考えもするのであるが、老人になった時には、ちゃんと、老人らしい老人に、なっていたいところである。
急に話が飛んだようであるが、つまり、あまり若々しいのも、なんだな、と。花伝書のこともある。素晴らしい老人、とでもいうか、ま、これは、楽しみとして。

洋司