目覚まし時計により、午前2時とか3時とかに起きるのである。自然に起きる時とちがって、無理矢理起きる時、まるで一枚ずつ折り紙が重なってゆくように、前日の記憶がよみがえってくる。だいぶ寝ぼけているようである。
太宰治は、藤村の「夜明け前」を一晩で読んで、寝て起きてもなにも印象に残っていなかったとか書いていたかな。僕も昔、何日もかけてそれを読んで、あんまり思い出さないわけであるが、それは別のところに原因がありそうである。図書館で借りた古い本だったので、その本の古さばかりを覚えているのである。感覚は記憶に残りやすい。
起きて、まだ寝ぼけている時に、まず思い出すことは、その人にとって大事なことなのかもしれないが、しかし、よく考えてみれば、まだ寝ぼけているのである。寝ぼけているということと、ある種のトランスとは、これは似たもののようで、違う。
意識のレベルは、7つあるなどと、ある体験の最中にマッカートニーはメモを取ったそうであるが、あとでそのメモを見ても、何のことやらさっぱりわからなかったと。仏教の入門書などに図式してある、次元の図と、どこやらでつながっているような気がしないでもないが、ま、要するに、寝ぼけているのとは違う、また、通常の意識とも違う意識というのは、あるのである。一生懸命仕事している時が、その一つであると思える。同じある種の意識のレベルにあるのなら、一生懸命仕事をしている時のほうがいい。僕は7つより多いと思っている。

洋司