なんのために走るのか。といってもゆるゆるのジョギングであるが、それは、体型と体力の維持だけである。大きな声で言えることでもない。そして、走りながら、一体全体、なんのために、などと、考えるのである。走りに出るときも、よし、今日も走るぞ、という気持ちもあるけれども、また今日も走るのか、という気持ちもあるのである。そういうときに、非常に怠惰な心を感じるのである。なにもしていなければ、感じまい。別に走らなくてもいいのである。それを、毎日、走ることで、心の怠惰を感じるという、現象。面白いところである。
洋司
洋司