徒然草第七十一段に、デジャヴュと思われるようなことが書かれている。今のはどこかで見たことがある、などと感じるのは自分だけだろうか、と兼好。
僕について言えば、このごろはあまりデジャヴュを感じなくなった。子供の頃はしょっちゅう感じていたことを思うと、あれは年齢に関係があるのかもしれない。兼好が第七十一弾を書いたのは、まだ三十代の若い頃だったのじゃなかったかな。
それにしても、あれはデジャヴュと言うのだよ、と言われれば、あぁそうなのか、とわかったような気になっていても、本当は、なんなのか、さっぱりわからないのが、面白いところである。

洋司