もうやめてくれ、というほど笑うことは、それほどないけれど、思い出せば、子供の頃、お正月など、親戚が集まったときなどは、家が吹き飛びそうな勢いで、皆、よく笑っていたものだ。子供は、話に参加しているわけではないが、聞いているだけで、涙を流しながら悶絶せんばかりに笑っているのという、妙な図である。大人になってからは、友人たちとともに写った写真を見ながら、よく笑った思い出がある。彼らは表情豊かで、お酒など入ると、最高な顔をし、その瞬間をカメラは捉えているのであるが、横に写っている僕はいつでも表情がかたく、それはもうお魚か埴輪のようである。そのギャップも笑いのポイントであり、人面魚に対抗して魚面人だとか、今掘り出されたばかりの埴輪、だとか言えるのが、僕には救いであった。その方向性で笑いにつなげられる人材は他にいなかったとも言える。珍しいお魚であり、貴重な埴輪である。普段、だいぶ険しい表情で机に向かっていると思う。時には魚や埴輪を思い出して、ふっと笑ってみるのである。

洋司