「む」が字で、それを自分で書かなきゃならないと思ったときの精神的苦痛は今もよく覚えている。なんだかわからない形で、どこからどういう風に書けばいいのか、途方にくれた。
自分の苗字が久保田だとはじめて知ったときも、違和感を覚えた。言えば今でもちょっと、あれ?って思うようなことがある。子供の頃、家に帰ったとき、ここは自分っちだっけ?って思ったことがある。単なる間抜けだ。
輪廻転生は本当にあるみたいだっていう事実らしい例もあるようだけど、どうも信じにくい。自分が前に何かだったような気はしない。
それにしても、こんな小学生のころに自由帳に書いていたようなことを、今も変わらず書いている。二十歳くらいのころに、自分は幼稚園のころとたいして変わっていないということにあせったことがある。十五年ぐらいしかたっていないのだから、たいして変わっていないのだろう。それから二十年ぐらいして、小学生のころ云々といっても、やはり三十年弱の時間しか過ぎていないのだから、たいして変わっていないのだろう。
このごろ、長く書く癖がついた。少し前なら、この内容のつもりでも「小一のときは、小六の男子さえ、毛深いおっさんに見えたものだ」しか書かなかったろう。

洋司