ある作曲家の方が、昔話しておられた。ディレクターからの書き直しの要求に応えるのに、精神的に追い詰められ、顔面神経痛になりながら作曲したと。その曲は当時ナンバーワンに輝いた。

追い詰められ、追い詰められ、そうして追い詰められて、いいものができたという話はよく聞くから、僕なども、その状況を楽しむようにしている。人によっては、すごく肩がこるとおっしゃる方もあるし、頭髪が白くなるとおっしゃる方も。胃が痛くなったり、なんらかの精神的ダメージがある場合もあろう。そういうときにでも、皆さん、いいのもができたら、それらの苦痛は一瞬で吹き飛ぶ。むしろ苦しむからこその喜びもある。思いがけずひらめきで、新しいものができるのはラッキーだし、そういう霊感を得る場合もときにはあるものだけど、のちにそういうものが評価されたときの、感謝とそこはかとないうしろめたさ。うしろめたさなど感じる必要はないわけだけど。

大分長くなったけど、今日書こうとしたのは、そういうことじゃなくて、鼻についてだ。何かを書いているとき、手が追いつかなかったり、イメージに言葉が乗っかってこなかったりすると、僕はこのごろ、鼻先がしびれるようなことがある。一種の顔面神経痛かもしれないが、鼻といえば犬。あの黒くて濡れてる鼻は、何かこうした苦闘の末のものと思ったとき、苦闘の末には黒くて濡れてる鼻が待っているのかと想像すると、笑えるのさ。

洋司