「武士道」に、切腹の場に正式に立ち会った外国人の日記が紹介されていて、その場面が非常に丁寧に冷静に記されている。張り詰めた空気の中で厳粛に執り行われるそれは、すごく静かなもののように感じられた。前に読んだ三島の「憂国」の中のあの、すさまじい感じと、全然違う印象である。事実とフィクションであるし、三島は読み物として書いているのであるから、当然であるけれど。

それにしても、僕自身のことで言えば、子供のころ、あんまり本を読まなかったので、大人になって、大人の感覚で、あれこれに触れ、刺激や衝撃や影響をうけるわけであるが、そのときに、これは子供じゃわかるまい、と思うものである。しかし、わからないながらも、子供のころに読んで、感動したり、泣いたりしたような本のことは、ずっと忘れられないのである。

今は、すごい感動しても、よく忘れる。本に線をひいたり、ノートに書き写して何度も読み返すが、よく忘れる。どんどん吸収できる時期にたくさん読んで、いろいろ知りながら、さらに読み続けるうちに、様々なことが、わかるようになるのだろう。これは、早い方がいいようであるが、もう遅いと思う必要もなかろう。大人になってからの時間は長いと思えば。過去より未来が長いと思えば。

洋司