隣家の白い壁に、日があたる。そうすれば、陰の部分もできる。同じ白い壁でも、日のあたっているところと、陰のところは、だいぶ色が違って見えるのである。これがたまたま、目の疲れている時などに、目の力を抜いて、隣家の壁を見れば、ちょっとぼやけて見え、日のあたっているところと、そうでないところの色が、同じ白なのに、あまりに違うことに気づいて、びっくりしたのである。

僕は視力が良くて、普通でも、両目とも1.5はある。測る時によっては2.0の時もある。いつもなんでもくっきり見えている。白いものは白いに決まっていると、思っている。それなのに、視界がぼやけた世界では、逆にこんなにも色がはっきり見えるものなのかと、愕然としたのである。

印象派の絵画など、離れたところから見ると、完全に花畑などに見えたりするものが、その素晴らしさを近くで見ようと、近寄ってみると、絵の具の点々である。大きさもまちまちで、色も隣の色と混ざったりしていて、なんだかわからないものである。

小1か小2の時に、担任の先生ではなくて、教頭先生が図画の時間、教えてくださったことがあり、その時、僕らが人の顔を描いていたら、こんなことをおっしゃった。つまり、顔は肌色だけではない、よく見ると、思いがけない色が、光の加減で見える。ゴッホの自画像など、見てごらん、あれは、ゴッホには、あんなふうに見えたのだ云々と。
そこで、僕は顔を見た。見ようによっては、水色、白、紫、緑と、いえるのかもしれないと、本当は、それほど見えていないのに、ことさらに奇抜な色を塗ってみた。ほめられた。さすがにあまりうれしくはなかったのである。

洋司