「豊饒の海(三)暁の寺」は、バンコクが舞台である。
タイには僕も行ったことがある。15年ほど前、一人旅である。テレビのスタッフの話に影響を受けて、3日後にはタイにいた。
その人は、一方にはきらびやかなものがあり、そのすぐ傍らに貧困が生活をしている、その場面に衝撃を受けたとか。僕としては、なにかをわかりたくて、何も考えずに出かけた。カメラも持ってなかったので、写真はない。僕は行きしなに、タイについてのガイドブックをパラパラとめくったくらいで、タイのことは全然しらなかった。あえて関連付ければ、中学の時に参加した、ユネスコ国際キャンプで、参加者はそれぞれいろんな国々の名前のついた班に別れて行動するのであるが、僕の班の名がタイだった。別にタイの人がいたわけではない。テキサスから来たローラという同年齢の女子がいた。宇部の米軍基地にいるのだそうで、英語しかわからないので、ほとんど会話もしていない。
タイのガイドブックを見て、僕はその国の王朝の歴史にちょっとだけ興味を持ち、タイに着いたら、歴史をたどろうと、とりあえず北上した。アユタヤ、チェンマイ、チェンセン、チェンライ。ま、ガイドブックに出ているような寺ぐらいしか行かないわけであるが、町々で出会う人らと、なんとなく会話したりした。
メコン川沿いのチェンライは、当時のビルマ、ラオスとの国境地帯、ゴールデントライアングルと呼ばれるところがある。ずっと奥へ入り込めば、山岳民族などの村々もあるという。僕はそういうところへ行けるんじゃないかと、一泊2百円のロッジで自転車を借りて、水牛が作業する水田を見ながら走った。途中から、ずっと上り坂で、非常に困難であった。ま、山岳民族の村などへは、行けるものではなかったのである。
暗くなる頃に、ロッジにもどった。部屋の明かりはつかず、シャワーもあまり出なかった。ベッドは砂でじゃらじゃらしていた。町の古い寺の柱には、何百年も前の洪水の痕が残っていた。お寺の人に教えてもらった。炭ほど真っ黒に日焼けした。
最初にバンコクについた日に、お寺の人と友達になった。ほぼ同年代の男子で、僕が寺をふらふら歩いていたら、声をかけてくれた。優秀な学生であるらしかった。1週間ちょっと、北の町々を回って、またバンコクに戻った時、また彼に会い、食事をしたり、彼の家に行ったりした。
最後の宿だけは、贅沢をして「暁の寺」にも出てくる、タイで一番のオリエンタル・ホテルに泊まった。テレビでタイの音楽番組を見、いろいろわかることがあった。それにしても、だいぶバテバテで、せっかくのオリエンタル・ホテル、ほとんど寝ただけであった。
写真はないけれど、いろいろを、すごく鮮明に覚えている。というか、最近のことは、よく忘れるのに、昔のことはひどくよく覚えている。これはしかし、なにかのようである。
洋司
タイには僕も行ったことがある。15年ほど前、一人旅である。テレビのスタッフの話に影響を受けて、3日後にはタイにいた。
その人は、一方にはきらびやかなものがあり、そのすぐ傍らに貧困が生活をしている、その場面に衝撃を受けたとか。僕としては、なにかをわかりたくて、何も考えずに出かけた。カメラも持ってなかったので、写真はない。僕は行きしなに、タイについてのガイドブックをパラパラとめくったくらいで、タイのことは全然しらなかった。あえて関連付ければ、中学の時に参加した、ユネスコ国際キャンプで、参加者はそれぞれいろんな国々の名前のついた班に別れて行動するのであるが、僕の班の名がタイだった。別にタイの人がいたわけではない。テキサスから来たローラという同年齢の女子がいた。宇部の米軍基地にいるのだそうで、英語しかわからないので、ほとんど会話もしていない。
タイのガイドブックを見て、僕はその国の王朝の歴史にちょっとだけ興味を持ち、タイに着いたら、歴史をたどろうと、とりあえず北上した。アユタヤ、チェンマイ、チェンセン、チェンライ。ま、ガイドブックに出ているような寺ぐらいしか行かないわけであるが、町々で出会う人らと、なんとなく会話したりした。
メコン川沿いのチェンライは、当時のビルマ、ラオスとの国境地帯、ゴールデントライアングルと呼ばれるところがある。ずっと奥へ入り込めば、山岳民族などの村々もあるという。僕はそういうところへ行けるんじゃないかと、一泊2百円のロッジで自転車を借りて、水牛が作業する水田を見ながら走った。途中から、ずっと上り坂で、非常に困難であった。ま、山岳民族の村などへは、行けるものではなかったのである。
暗くなる頃に、ロッジにもどった。部屋の明かりはつかず、シャワーもあまり出なかった。ベッドは砂でじゃらじゃらしていた。町の古い寺の柱には、何百年も前の洪水の痕が残っていた。お寺の人に教えてもらった。炭ほど真っ黒に日焼けした。
最初にバンコクについた日に、お寺の人と友達になった。ほぼ同年代の男子で、僕が寺をふらふら歩いていたら、声をかけてくれた。優秀な学生であるらしかった。1週間ちょっと、北の町々を回って、またバンコクに戻った時、また彼に会い、食事をしたり、彼の家に行ったりした。
最後の宿だけは、贅沢をして「暁の寺」にも出てくる、タイで一番のオリエンタル・ホテルに泊まった。テレビでタイの音楽番組を見、いろいろわかることがあった。それにしても、だいぶバテバテで、せっかくのオリエンタル・ホテル、ほとんど寝ただけであった。
写真はないけれど、いろいろを、すごく鮮明に覚えている。というか、最近のことは、よく忘れるのに、昔のことはひどくよく覚えている。これはしかし、なにかのようである。
洋司