この年齢になって、私は、人間と情熱との間の齟齬がだんだん目につかなくなった。若い保身の慮りから、そういうあら探しをする必要がかつてはあったのだが、今はなくなったというだけでなく、他人に宿る情熱の、その人との不調和が、むかしは大きな笑うべき傷に思われたのが、今では許しうる瑕瑾(かきん)になった。神経質に他人の蹉跌に感応し、それによって自分も傷つくことを怖れるという、かよわい若さがなくなったせいかもしれない。それだけに又、一方では、美しさの危険よりも危険の美しさが鮮明に心に映り、あらゆる若さが滑稽に見えなくなってくる。これも若さがもはや自分の自意識と関わりのないものになったからでしょう。

昨日に続いて、「豊饒の海(二)奔馬」から引用した。

斉藤環の「逆説の同心円」という文に次のようなことが書いてある。
三島由紀夫の「文体はその逆説のスタイルに至るまで、若干十代で完成を見ていた。言い換えれるなら、三島の逆説のスキルは、十代以降もほとんど変化しなかったのだ。」

三島は、十代から、逆説などを駆使し書いていたわけである。
僕らなど、十代といえば、せいぜい、エッシャーかなにかのだまし絵を見て、目を回していたようなことである。

引用ばかりですまぬ。

洋司