そして彼は三十八歳になった。生きたというには妙に軽々しく、若さにとっては不本意な死を引きずっている年齢。経験はかすかに腐臭を放ち出し、新奇な歓びは日ましに乏しくなる年齢。どんな愚かしさからも急速に美しさの薄れてゆく年齢。

三島由紀夫の「豊饒の海(二)奔馬」から、引用させていただいた。
僕は今年、四十になるのであるが、つい十月の終わりに三十九になったばかりなので、このあいだまで、三十八であった。しかし、年齢について、こんなに長い文章など書いたことがない。どんな愚かしさからも急速に美しさの薄れてゆく年齢、というところが好きである。三島自身は、これを書いたとき、四十一か二であろう。三十八になっても、愚かしさがあるわけである。

「豊饒の海(一)春の雪」の青春からのつながりなので、三十八で美しさは薄れてゆくと書くけれど、愚かしさには、どこか美しいところが、ずっとあるような気がすると、僕などは思ったりする。少しずつ読んでいるけれど、とても面白いと思う。

洋司