20年前である。松本隆さんから呼び出されて、新宿センチュリーハイアットの一室。ザ・東南西北のファーストアルバム用の詞の打ち合わせを、二人だけでしたのである。レコーディング途中のカセットテープを聞きながら、この曲はどうしようか、というところからはじまる。
後に「飛行少年」という、アルバムのタイトル曲となる、白井良明さんの曲は、デモのアレンジ前のごくシンプルな時に、僕が詞を書いたものがあった。雨の日にバス停で君を見たというような詞で、思えば、KinKiKidsの「ガラスの少年」と似たようなシチュエーションであるが、それ自体、松本さんのもっと前の詞からの影響に違いないと思うのである。
で、アレンジされた曲のテープを聞きながら、僕が、雨のバス停に云々とぼそぼそ言ってたら、松本さんの目がいきなり宙を追い始めて、「うん、こんなのはどうかな」と、複葉機をあやつる少年の話をされた。
「飛行少年」だ、とその時おっしゃった。「微妙な気持ち」では、実は清水君がこの曲について言っていた話を、松本さんにした。枕に顔をうずめて云々というお話。それが詞になった。
「ナイーブ」は、南佳孝さんの曲であるがアレンジの良明さんが仮歌をランランラン~と歌っていて、そのテープを聞きながら、松本さん、「この曲を聞いて、なにが見えるかい」と。僕は「なぜか、トタン屋根。信号が青なので、出かけようと思うと、赤に変わり、やっぱりやめるかと思ってると、バスが行き過ぎる」と、話したところ、松本さん、やはり宙を見ておられ、出来上がった詞には、その風景が的確に歌になっていて、本当に驚いたのである。いたこか催眠術師か。ま、そんなふうに、僕は20年も前に、松本隆さんに、直にいろいろ教わっているのである。
僕は、そのころは、松本さんが一人になったときに、魔法を使って詞を書いてるような気がしたものである。その、魔法のところがやはり知りたく、最近もお会いするたびに、聞いてみるのであるが、そこは、半トランス状態でねとおっしゃる。だけど、思えば、20年も前に、その場に僕はいて、その宙を行かれるところを見ているのである。その瞬間にちがいなく、あれはあやしい魔法とかではなくて、もっとわくわくするような、楽しい瞬間だったと、思うのである。
洋司
後に「飛行少年」という、アルバムのタイトル曲となる、白井良明さんの曲は、デモのアレンジ前のごくシンプルな時に、僕が詞を書いたものがあった。雨の日にバス停で君を見たというような詞で、思えば、KinKiKidsの「ガラスの少年」と似たようなシチュエーションであるが、それ自体、松本さんのもっと前の詞からの影響に違いないと思うのである。
で、アレンジされた曲のテープを聞きながら、僕が、雨のバス停に云々とぼそぼそ言ってたら、松本さんの目がいきなり宙を追い始めて、「うん、こんなのはどうかな」と、複葉機をあやつる少年の話をされた。
「飛行少年」だ、とその時おっしゃった。「微妙な気持ち」では、実は清水君がこの曲について言っていた話を、松本さんにした。枕に顔をうずめて云々というお話。それが詞になった。
「ナイーブ」は、南佳孝さんの曲であるがアレンジの良明さんが仮歌をランランラン~と歌っていて、そのテープを聞きながら、松本さん、「この曲を聞いて、なにが見えるかい」と。僕は「なぜか、トタン屋根。信号が青なので、出かけようと思うと、赤に変わり、やっぱりやめるかと思ってると、バスが行き過ぎる」と、話したところ、松本さん、やはり宙を見ておられ、出来上がった詞には、その風景が的確に歌になっていて、本当に驚いたのである。いたこか催眠術師か。ま、そんなふうに、僕は20年も前に、松本隆さんに、直にいろいろ教わっているのである。
僕は、そのころは、松本さんが一人になったときに、魔法を使って詞を書いてるような気がしたものである。その、魔法のところがやはり知りたく、最近もお会いするたびに、聞いてみるのであるが、そこは、半トランス状態でねとおっしゃる。だけど、思えば、20年も前に、その場に僕はいて、その宙を行かれるところを見ているのである。その瞬間にちがいなく、あれはあやしい魔法とかではなくて、もっとわくわくするような、楽しい瞬間だったと、思うのである。
洋司