伊能忠敬は、50歳から、17年かけて日本中を歩き、測量を重ね、日本地図の作製にかかった。その仕事が大好きだったみたいである。まもなく忠敬は死んだが、弟子たちの手で三年ほどかけて、地図は完成したのだそうである。
それまでにも日本地図はあったけれど、正確なものではなく、忠敬らの作ったものと比べると、非常にいびつである。それまで、そのいびつなものを見て、これが日本だと思っていた人が、正確な測量に基づく日本地図を見た時、え、と思ったかもしれない。
僕らが見ると、昔の地図に比べると忠敬の方が、美しいように見えるけれど、昔の人には、そんなふうに見えなかったかもしれない。のっぺりとした、軟弱な感じがしたかもしれない。
僕らだって、想像を膨らませていたものの実物を見て、え、これが? と思ったようなことは、なんだかいろいろあるような気がする。
それにしても、今でも、どこどこの島は地図より何メートル北だったとか、エベレストはちょっと低かったとか、綱引きをやって、1メートル県境が、ま、正式ではないけど、動くとか、伊能忠敬が生きていたら、測りたくてうずうずしてるかもしれない。

洋司