我々は我々が知らぬということすら知らぬ、とアルケシラオス。
老子風、抜け抜けで言えば、知らぬことも、知ってることの別の形ということになるかな。
新約聖書、マタイの福音書には、心貧しき者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。等、逆説みたいなものが出てくる。
三島など、逆説大好き男である。何かの文を読んで気に入らない時、逆説にもなっていないじゃないか、と書いてたと思う。
シェイクスピアなどは、また違って、なんでも逆説にすりゃいいと思ってるのかい、古っ。みたいなことを書いてたような気がする。
なにか、良い言葉を得るには、タイミングもあろう。誰かにとっては、古いものも、別の人には新鮮に感じる時もある。そして、はじめに返れば、誰もまったく知らない、良い言葉というものもあろう。
ソクラテスなどは、賢者は複雑なことをシンプルに考える、と。また、老子調に言えば、複雑とシンプルも同じものになってしまう。
きりが無いようである。
きりは無いもののようである。フイゴ。
洋司
老子風、抜け抜けで言えば、知らぬことも、知ってることの別の形ということになるかな。
新約聖書、マタイの福音書には、心貧しき者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。等、逆説みたいなものが出てくる。
三島など、逆説大好き男である。何かの文を読んで気に入らない時、逆説にもなっていないじゃないか、と書いてたと思う。
シェイクスピアなどは、また違って、なんでも逆説にすりゃいいと思ってるのかい、古っ。みたいなことを書いてたような気がする。
なにか、良い言葉を得るには、タイミングもあろう。誰かにとっては、古いものも、別の人には新鮮に感じる時もある。そして、はじめに返れば、誰もまったく知らない、良い言葉というものもあろう。
ソクラテスなどは、賢者は複雑なことをシンプルに考える、と。また、老子調に言えば、複雑とシンプルも同じものになってしまう。
きりが無いようである。
きりは無いもののようである。フイゴ。
洋司