収集癖というのが少なからず、男にはあるのであろう。
知り合いにも、何かを集めているという人がいたり、集めてるわけではないと言いながら、本やCDで部屋がぎっしりという人もある。
物にほとんど執着のない者と思っている僕であるが、それでも、書棚に本がずらりとそろってくるのをみると、少々、ぞくぞくする。数世代でははかれない、男の持つ欲というものが、自分の骨髄のなかにも流れているのかと思うと、うれしいと思う。

平均化というか、どんどん薄まってゆく野生というか、ずいぶん昔に、先輩ミュージシャンから、君らの作るものには、メロディーに腰がないんだよ、と嘆かれたことがあり、その時では、その腰というものを、なにやら古いもののようにも感じたものであるが、ここにいたり、その時点が、古いものとなった今、新しいもの、現在が渇望するものといえば、と自分なりにその渇きを実感する者としては、それなのである。つまり骨髄の中の。
温故知新などというと、その言葉自体が古いものとも言えるが、新しいものへの渇きを、潤してくれる美味い水を飲み、いざ、というところなのである。
これはしかし、人それぞれの美味い水があり、そのどれをも、否定するものではない。むしろ、それぞれの水によって、素敵なものが芽生えることを、積極的に望むものである。

洋司