ゴリラの息子、コメントありがたく。
様々な場所で、いろいろで面白く。
七代目とは、子孫ですな。
沼隈的には、ちぃと、ちごぉとりやんすのぉ。
日本一とは、桃太郎。

ま、小学生の頃を思い出せば、いろいろ面白いことを言っていた生徒らがいたものだと、思うのであるが、僕といえば、いたってつまらぬ者であったと思う。
近くのにいさんたちの真似をして、マリリン・モンローだとか言って、お尻をふって道を歩いてたら、車のおっさんに、「なんしょんなら(なにをやってるんだ)」と怒られたようなことである。

よく遊んだマサノリ君(アンタの世良さんではありませぬ。ちなみに、僕の弟は、高校教師だった世良正則さんの実のお姉さんの教え子。お姉さんには、僕も偶然お会いしたことあり。ザ・東南西北の仕事で尾道に行ったとき、東南のスタッフが知り合いだったようで千光寺の駐車場で)、カッコ内が長くなってしまったが、マサノリ君が、時々作る歌がすきであった。
「冷や汗ダラダラッ、フー~」っていうのや、「西トラ、トラック、坂道っに~よわ~い、あぁ~ぼろくそ」っていうのなど、都倉俊一風の曲で、マサノリ君の歌声や表情とともに、良く覚えている。
僕はいまだに、そんな歌はつくれねぇ、と思うのである。

マサノリ君、すこしエルビスに似ていたのである。
タカモリ君なども、非常に面白く、僕はファンであった。
「お寺のかねがゴーンとなる」を「お寺のかねがゴーソとなる」と読んで、そのときから一部で、ゴーソと呼ばれていたが、もしかしたら、あれは、わざとじゃないかと僕は思っている。
とある女子のあだ名を「チロリロ」とつけて、「チロリロチロリロ」などと呼んでいた。その子に好意を持って言っている感じが面白かった。
「僕」などという漢字を早くから知っていて、作文に「僕はむなしい」などと書くのである。
普段ちょっとやんちゃで、ほんとはやさしいタカヤス君が、牛乳のふたを、飲んだ牛乳瓶に、またふたしていたとき、中の空気があったまったのだろう、急にそのふたが、ポンととんで、タカヤス君がびっくりした顔は、僕だけが見ていたと思う。いい顔であった。
ま、知らないと面白くないと思うが、こういうことが、今でも僕の胸の中にあるのである。

洋司