「アンタちょっと~」という詞のシャ乱Qの歌をふと思い出して、「アンタちょっと~」といえば、別に思い出すことがある。
「アンタ ちょっと 見かけによらない ゴリラの息子の三代目 はっきり言うと クルクルパー」。
子供のころに、幼稚園やら小学校やら近所やらで、よく聞いたこの言葉である。
「息子」というぐらいだから、女子に対して言う言葉ではなさそうである。
やはり、よく聞いたのは、女子が男子に向かってこれを言っていたところである。女子の誰かが考えたのかもしれない。
「見かけによらないゴリラ」と聞こえるが、これは、どんなゴリラかと思うのである。
解釈しようとすれば、見かけによらず、クルクルパーだね、というようなことか。見かけは、いいということかもしれない。
ゴリラの息子の三代目が、どうして、はっきり言うとクルクルパーなのか、ここが一番謎である。
それにしても、僕もこれを、女子に言われたことがあるような気がするが、別にいやな気はしない。先の、見かけはいい、という含みをどこかで感じたのかもしれない。また、ゴリラと言えば、森の王者である。その系列だとすれば、悪くもない。
また、女子も、なんだかニコニコしながら、言ってたような、楽しい場面を思い浮かべるのである。思えば、ちょっと和製ラップっぽい言い回しで、歌うような感じで、女子が何人かでこれを言う風景はなかなかに楽しい。
「アンタ」や「ちょっと」を次に意識したのは、「勝手にシンドバッド」かもしれない。
「ちょっと今夜は熱く胸焦がす」、「さっきまでオレ一人アンタ思い出してたとき」。
ま、サザンの場合はどちらかと言えば「ちょいと」を使うのであるが、このへんは、昭和30~40年代の歌謡曲、言えばザ・ピーナッツなどの影響だと桑田さんが言ってたと思う。
そうなると、岩谷時子、なかにし礼とかの名が浮かぶ。この人らの言葉は、歌謡曲より前のものから、きているような感じもする。
昭和40年代なら、「ゴリラの息子~」を聞いていた時期と、ほぼ重なるが、「アンタ ちょっと」の歴史はもっとずっと古いように思えるのである。
洋司
「アンタ ちょっと 見かけによらない ゴリラの息子の三代目 はっきり言うと クルクルパー」。
子供のころに、幼稚園やら小学校やら近所やらで、よく聞いたこの言葉である。
「息子」というぐらいだから、女子に対して言う言葉ではなさそうである。
やはり、よく聞いたのは、女子が男子に向かってこれを言っていたところである。女子の誰かが考えたのかもしれない。
「見かけによらないゴリラ」と聞こえるが、これは、どんなゴリラかと思うのである。
解釈しようとすれば、見かけによらず、クルクルパーだね、というようなことか。見かけは、いいということかもしれない。
ゴリラの息子の三代目が、どうして、はっきり言うとクルクルパーなのか、ここが一番謎である。
それにしても、僕もこれを、女子に言われたことがあるような気がするが、別にいやな気はしない。先の、見かけはいい、という含みをどこかで感じたのかもしれない。また、ゴリラと言えば、森の王者である。その系列だとすれば、悪くもない。
また、女子も、なんだかニコニコしながら、言ってたような、楽しい場面を思い浮かべるのである。思えば、ちょっと和製ラップっぽい言い回しで、歌うような感じで、女子が何人かでこれを言う風景はなかなかに楽しい。
「アンタ」や「ちょっと」を次に意識したのは、「勝手にシンドバッド」かもしれない。
「ちょっと今夜は熱く胸焦がす」、「さっきまでオレ一人アンタ思い出してたとき」。
ま、サザンの場合はどちらかと言えば「ちょいと」を使うのであるが、このへんは、昭和30~40年代の歌謡曲、言えばザ・ピーナッツなどの影響だと桑田さんが言ってたと思う。
そうなると、岩谷時子、なかにし礼とかの名が浮かぶ。この人らの言葉は、歌謡曲より前のものから、きているような感じもする。
昭和40年代なら、「ゴリラの息子~」を聞いていた時期と、ほぼ重なるが、「アンタ ちょっと」の歴史はもっとずっと古いように思えるのである。
洋司