※長文乱文になるのでご了承下さい
さて、タイトルww
自分で書いちゃったよ
今日、本日は私の誕生日
この世に産まれて40年
長いし早いわ
前に書いたかもしれないけど
人生50年と思っているので
もう余生じゃないといけない
ただし、私はサイヤ人並みなので
余生は49年と11ヶ月目からくらいかなと
まぁそれは置いといて・・・
両親に感謝のひとつでも・・・
と、言いたいとこだけど
それもちょっと置いといて・・・
40年を振り返る
昭和52年8月19日
京都市の日赤病院で誕生
2,900gやったかな・・・忘れた
心臓の静脈?が細くて
両足が反対向いて(膝が中向いて)
※普通は蛙みたいにガニマタ
そんな感じで悲劇的に産まれたから
保育器へ直行
※本人はそれほど深刻では無い
ミツコは一緒に寄り添えなかったって
寂しそうにしてたなー
産まれたてからやっかいな子だったね
まぁそんなこんなで
ハラハラドキドキの乳幼児
母乳はバクバク飲むし
口から産まれたと言われるくらい
早くから喋っていたので
産まれた時の悲劇な感じも忘れ去られ
たくましく育つのだ
両親共働きのため7ヶ月で保育所
29才から乗り始めたチャリをこいで
ミツコは毎日保育所へ私を運んだ
何回こけたかは秘密ね
何歳の時か忘れたけど
アレルギー性鼻炎が判明
小学校卒業辺りまで毎日耳鼻科通い
風邪ひくとリンパ腺腫らす始末
腫れた耳の下を無理矢理押し撫でて
口の中へ膿を出す作業は
今でも忘れない、痛すぎて
そんな小学校時代、遊ぶ暇の無い子で
5才からのピアノはもちろん
3才からスイミング、習字、公文、英語、塾と
結局1週間丸ごと習い事の日々
週2とかあったから1日2つとかもあったね
6年生の頃には夏期、冬期講習もやね
でも、一応遊んでたよ、たまの休みに
テレビも観てたし
やらなかったのはTVゲーム
これはね
3年生の時に、束の間の休日
近所で遊んでたら
至近距離、1mくらいかな、
離れたとこから
小6男子が全力で投げたお手玉が
私の左目に直撃
大騒ぎになって
眼科行くまでに景色が真っ白になって
左目だけ白内障になったのだ
右目の視力も落ちるだろーから
って事でTVゲームはやらなかった
元々興味も無かったしね
ってか、時間が無かったね、余裕が
幸い白内障は投薬で霧が晴れたから
完治したけど
視力が戻らなかったから
その時からメガネっ子
あられちゃんメガネしてたなー
そんなこんなで
大した病気や怪我もなく小学校卒業
一応私立を受けて落ちて公立中学校へ
この時期、とても尖っていて
自らハブにされ、2年生の時は
クラブ以外で殆ど口きかなかったよ
あ、小3で妹、小6で弟が産まれてたね
尖ってたのは
勉強しなさーい
家の手伝いしなさーい
妹、弟の面倒みなさーい
塾増やしなさーい
のオンパレードで、限界越えたのだ
いや、無理やろ
10代前半の子に・・・って思ってたので
矛先が家族以外にいったねー
くっだらない話で笑ってる同級生が
疎ましくて妬ましくて鬱陶しかったー
まぁそんな風に過ごしたけど
クラブは楽しかった
吹奏楽で全学年コンクールに出れたし
あ、人数が多かったからね
個人的に頑張れば認められたからねー
40年通して一番努力した期間かも
適当に勉強してても
普通に頭良かったから
親も勘違いして
頭のいい高校行けーってなるのだけど
中2から全く勉強しなくなって
そこそこの成績はキープしてたけど
受かるはずも無い高校受けて落ちて
普通の公立高校へ進学
保育所の頃から勉強は好きでやってた
でもどっかから両親のためかもなー
って思ってしまって拒絶
怒られない程度の成績キープ
高校は普通に楽しかった
今でも繋がってるねー
あ、中2で初彼氏だったねー
初恋は・・・幼なじみの兄ちゃん
まぁそれはいいか
高校は彼氏出来なかったねー
ってか皆と騒いでる方が楽しかった
好きな人はいたねー、サッカー部
わかる人はわかるねww
あれだけやってた習い事
高校の頃には
ピアノ、習字、予備校(塾)に減ったー
高3の時、ピアノの先生に
音大は行かないって言い放ったら
じゃぁゆかちゃんは将来、ちょっとピアノの上手なお母さんで良いのね、と言い放たれた
この事は、結構今でも傷やね
音楽はやりたかったけど
学校には行きたくなかった
自由にやりたかった
でも両親は許さなかったので
受かりもしない国立を受けて落ちて
下に妹、弟いるから短大にしろと言われ
奈良の短大へ
行きたいわけもない短大は
金持ちばっかのお嬢学校で
まわりは皆お嬢様
話が合うわけもなく
もちろんサボる、サボる、サボる
レポート出す、テストクリアで
普通に卒業して就職
これまた近所のおじちゃんが
たまたま信金マン
わかっていながら、そこを受ける私
そこそこの重役だったおじちゃん
絶対コネじゃないからと言うけど
絶対コネやん的な感じで顔パス
3年働いたら好きにしろと
ケンスケが言うので
3年したら信金が吸収合併したので
まんまとサヨナラ
その後、どーしても行きたかった
オーストラリアへ旅立ったのだ
確か、23才の時かなー
少し遡って
高校卒業時して、ふっと気付く
めちゃくちゃ好きやんって事
そこから長い片想いが始まるのだよ
スゴいよー
何人か付き合ったけど
忘れない、忘れない
友達も私を諭すけど、土台無理
21才くらいで、その人に誘われ
奥田民生のコピバンに参加
もぉたまらないよねー
22才で信金辞めてバイト
そんな中、なんとその人と付き合う事に
4回告ってフラれた結果、成就!
でもですね、この時既に
オーストラリアへ行く事が決まってて
ビザも取ってしまってて
そう、忘れもしない
23才の5月21日、2000年ね
泣いて止めた彼を振り切って行ったのだ
向こうでの生活は楽しかった
40年で一番自分で居た時間だったね
オーストラリアへ行った理由
自分の存在意義を見出だす事
両親に自分の想いをわかってもらう手段を見出だす事
日本での自分の存在意義を見出だす事
とにかく自分探し
これわかる人は昭和だww
向こうからケンスケとミツコに手紙を書いた
結論、1mmくらいはわかってくれたと思うよ
そんなこんなで
自分探しなんて言いながら
毎日、昼起きて
夕方働いて、夜中飲んで踊って寝る
この繰り返し
働いたお金は全て遊んで使ったねー
ほぼ毎日飲み歩いてたー
バイトは
チャイニーズレストラン
ストリップ劇場の呼び込み
イベントスタッフ
どれもこれも楽しかった
チャイニーズレストランは送別会まで開いてくれたな
むちゃくちゃな毎日の中
いつも通りクラブで遊んでたら
モニターに映ったんよね
9・11の、あの大惨事のニュース
その場は騒がしかったけど
音楽は流れてたけど
皆モニター釘付け
即効で家帰ってTVつけた
ずーっとニュース
シェアしてた同居人は寝てたけどww
次の日から色々な情報が錯綜して
めちゃくちゃ心配で、色々不安で
オーストラリアに行ってから
ホームシックになった事は
1回もなかったけど
さすがに帰ろうと思ったよ
だから素直に帰ったのだよ
12月にね
彼はいつも通りで
そう日常が返ってくるはずだったけど
実家にはもう私の部屋は無くて
これは悲しい現実ではなくて
実際問題、妹弟がデカくなってた
24才で帰ってきたから
妹15才、弟が12才
そして両親に言われた
オーストラリアに行った時点で出ていったと思う事にしたから、独りで暮らしなさい
はーいって事で独り暮らし
独り暮らしするには稼がねばって事で
消費者金融へ就職
まぁ想像通り、壮絶な現場
人間の底辺の世界
給料良かったから続けたけど
友達と上司の不祥事(横領)で
あえなくKO負け、退散したよ
人間不振に拍車かけたね
その間、彼とは愛を育んで・・・たはず
なんだが
25才のクリスマスイブイブ前日
薬指の号数を聞かれ
クリスマスイブイブに指輪をもらう
翌年のバレンタインデーに別れ話
超特大パニック
メガトン級のカウンターくらって
激ヤセww
この頃が一番痩せてたよ、トホホ
這い上がるべく
6歳年下のイケメンと付き合ったけど
如何せん、私は変態
良い意味での変態なので
ノーマルなイケメンとは合わず
3ヶ月くらいでTheEnd
ちょうどメガトンパンチより遡る事
数ヶ月前
お気に入りのバンドのライブで
対バンしていたギャバに出会うのだ
そう、旦那さんの前のバンド
ギャバのフィドルのお姉さんと懇意になり
恋愛相談なんかをしつつ
なんとなーくギャバの中で誰?なんて
よくある女子話になり
消去法で旦那さんを選んだのが始まり
メールでやりとり
年越しライブのあと
呆気なく付き合い始めたのだー
翌年、京都から脱出するべく
結婚する事を決め、いざゆかん
で、伊勢に来て10年
ここまで長いなーww
私のしょーもない京都人生はこんな感じ
ここから伊勢編(まだ続くww)
伊勢に引っ越すと同時に
あられさん(茶色ミケ)も一緒に住む事に
父上、よねさん(旦那祖母)と同居
すぐさま働き口を探して労金へ派遣
そこでリンゴさん(黒モジャ)と出会って
トラたち(山の子たち)にも出会うのだ
その間、仙台の母上にご挨拶へも行ったね
トラたちに会ってから
私の人生激変
そう、山へ行く事が決定
この事はブログでも書いてるので割愛
センターさんとかもね
そんなこんなで
9年くらい、毎日、家族の誰かが
山行ってー
センターさん行ってー
ってしてるよ
ここ数年は友達の犬猫世話もね
その間、よねさんの介護したり
よねさんを看取ったり
父上が腎臓患って看病したり
私も身体を壊したり
古本屋ぽらんを旦那さんが切り盛りしたり
他にも色々たくさんあったね
ギャバの解散
ギャバのドラムの死
旦那さんの友人の死
良い土の結成
私の幼なじみの死
父上の兄ちゃんの死
よねさんの妹の死
梅太郎との出会い
こまちとの出会い
ぺいじとの出会い
だいちゃんとの出会い
佐之助の死
妹の結婚と出産
私の華麗な20キロ増量
様々な人たちとの出会いや別れ
キックボクササイズとの出会い
香良洲の整体の先生との出会い
私の再就職の決断
もぉ書ききれないくらいなので
この辺でww
そんなこんなで40年生きてきて
今も現在進行形で生きているのだ
今日から41年目
新たに刻む歴史が始まる
もぉ明日にでも死ぬんじゃないかと
思ってしまう文章になったけど
まだ死なないし、死ねない
昨今、世間では色々問題が勃発
ミサイルが飛んでくるなら
どうか古本屋ぽらんに目掛けてと願い
それを受け止める覚悟くらいは出来ている
皆嫌だろうから
その時は真っ先に死ぬ覚悟くらいはある
40年振り返っても
自分のしたい事はやってきたので
いつ死んでも良いよーに
毎日を悔やまずに生きているの
一条ゆかりが言ってたかな?
後悔はまとめて死ぬときに
私もずっとそう思って生きているのだ
まぁこんな人生を歩いた私ですが
41年目からも
一先ず、宜しくお願い申し上げます
平成29年8月19日 奥村 祐佳
追伸
良い土はまだまだ頑張ってるので
暖かく気長に見守ってて下さいな
あー御披露目したいー
さて、タイトルww
自分で書いちゃったよ
今日、本日は私の誕生日
この世に産まれて40年
長いし早いわ
前に書いたかもしれないけど
人生50年と思っているので
もう余生じゃないといけない
ただし、私はサイヤ人並みなので
余生は49年と11ヶ月目からくらいかなと
まぁそれは置いといて・・・
両親に感謝のひとつでも・・・
と、言いたいとこだけど
それもちょっと置いといて・・・
40年を振り返る
昭和52年8月19日
京都市の日赤病院で誕生
2,900gやったかな・・・忘れた
心臓の静脈?が細くて
両足が反対向いて(膝が中向いて)
※普通は蛙みたいにガニマタ
そんな感じで悲劇的に産まれたから
保育器へ直行
※本人はそれほど深刻では無い
ミツコは一緒に寄り添えなかったって
寂しそうにしてたなー
産まれたてからやっかいな子だったね
まぁそんなこんなで
ハラハラドキドキの乳幼児
母乳はバクバク飲むし
口から産まれたと言われるくらい
早くから喋っていたので
産まれた時の悲劇な感じも忘れ去られ
たくましく育つのだ
両親共働きのため7ヶ月で保育所
29才から乗り始めたチャリをこいで
ミツコは毎日保育所へ私を運んだ
何回こけたかは秘密ね
何歳の時か忘れたけど
アレルギー性鼻炎が判明
小学校卒業辺りまで毎日耳鼻科通い
風邪ひくとリンパ腺腫らす始末
腫れた耳の下を無理矢理押し撫でて
口の中へ膿を出す作業は
今でも忘れない、痛すぎて
そんな小学校時代、遊ぶ暇の無い子で
5才からのピアノはもちろん
3才からスイミング、習字、公文、英語、塾と
結局1週間丸ごと習い事の日々
週2とかあったから1日2つとかもあったね
6年生の頃には夏期、冬期講習もやね
でも、一応遊んでたよ、たまの休みに
テレビも観てたし
やらなかったのはTVゲーム
これはね
3年生の時に、束の間の休日
近所で遊んでたら
至近距離、1mくらいかな、
離れたとこから
小6男子が全力で投げたお手玉が
私の左目に直撃
大騒ぎになって
眼科行くまでに景色が真っ白になって
左目だけ白内障になったのだ
右目の視力も落ちるだろーから
って事でTVゲームはやらなかった
元々興味も無かったしね
ってか、時間が無かったね、余裕が
幸い白内障は投薬で霧が晴れたから
完治したけど
視力が戻らなかったから
その時からメガネっ子
あられちゃんメガネしてたなー
そんなこんなで
大した病気や怪我もなく小学校卒業
一応私立を受けて落ちて公立中学校へ
この時期、とても尖っていて
自らハブにされ、2年生の時は
クラブ以外で殆ど口きかなかったよ
あ、小3で妹、小6で弟が産まれてたね
尖ってたのは
勉強しなさーい
家の手伝いしなさーい
妹、弟の面倒みなさーい
塾増やしなさーい
のオンパレードで、限界越えたのだ
いや、無理やろ
10代前半の子に・・・って思ってたので
矛先が家族以外にいったねー
くっだらない話で笑ってる同級生が
疎ましくて妬ましくて鬱陶しかったー
まぁそんな風に過ごしたけど
クラブは楽しかった
吹奏楽で全学年コンクールに出れたし
あ、人数が多かったからね
個人的に頑張れば認められたからねー
40年通して一番努力した期間かも
適当に勉強してても
普通に頭良かったから
親も勘違いして
頭のいい高校行けーってなるのだけど
中2から全く勉強しなくなって
そこそこの成績はキープしてたけど
受かるはずも無い高校受けて落ちて
普通の公立高校へ進学
保育所の頃から勉強は好きでやってた
でもどっかから両親のためかもなー
って思ってしまって拒絶
怒られない程度の成績キープ
高校は普通に楽しかった
今でも繋がってるねー
あ、中2で初彼氏だったねー
初恋は・・・幼なじみの兄ちゃん
まぁそれはいいか
高校は彼氏出来なかったねー
ってか皆と騒いでる方が楽しかった
好きな人はいたねー、サッカー部
わかる人はわかるねww
あれだけやってた習い事
高校の頃には
ピアノ、習字、予備校(塾)に減ったー
高3の時、ピアノの先生に
音大は行かないって言い放ったら
じゃぁゆかちゃんは将来、ちょっとピアノの上手なお母さんで良いのね、と言い放たれた
この事は、結構今でも傷やね
音楽はやりたかったけど
学校には行きたくなかった
自由にやりたかった
でも両親は許さなかったので
受かりもしない国立を受けて落ちて
下に妹、弟いるから短大にしろと言われ
奈良の短大へ
行きたいわけもない短大は
金持ちばっかのお嬢学校で
まわりは皆お嬢様
話が合うわけもなく
もちろんサボる、サボる、サボる
レポート出す、テストクリアで
普通に卒業して就職
これまた近所のおじちゃんが
たまたま信金マン
わかっていながら、そこを受ける私
そこそこの重役だったおじちゃん
絶対コネじゃないからと言うけど
絶対コネやん的な感じで顔パス
3年働いたら好きにしろと
ケンスケが言うので
3年したら信金が吸収合併したので
まんまとサヨナラ
その後、どーしても行きたかった
オーストラリアへ旅立ったのだ
確か、23才の時かなー
少し遡って
高校卒業時して、ふっと気付く
めちゃくちゃ好きやんって事
そこから長い片想いが始まるのだよ
スゴいよー
何人か付き合ったけど
忘れない、忘れない
友達も私を諭すけど、土台無理
21才くらいで、その人に誘われ
奥田民生のコピバンに参加
もぉたまらないよねー
22才で信金辞めてバイト
そんな中、なんとその人と付き合う事に
4回告ってフラれた結果、成就!
でもですね、この時既に
オーストラリアへ行く事が決まってて
ビザも取ってしまってて
そう、忘れもしない
23才の5月21日、2000年ね
泣いて止めた彼を振り切って行ったのだ
向こうでの生活は楽しかった
40年で一番自分で居た時間だったね
オーストラリアへ行った理由
自分の存在意義を見出だす事
両親に自分の想いをわかってもらう手段を見出だす事
日本での自分の存在意義を見出だす事
とにかく自分探し
これわかる人は昭和だww
向こうからケンスケとミツコに手紙を書いた
結論、1mmくらいはわかってくれたと思うよ
そんなこんなで
自分探しなんて言いながら
毎日、昼起きて
夕方働いて、夜中飲んで踊って寝る
この繰り返し
働いたお金は全て遊んで使ったねー
ほぼ毎日飲み歩いてたー
バイトは
チャイニーズレストラン
ストリップ劇場の呼び込み
イベントスタッフ
どれもこれも楽しかった
チャイニーズレストランは送別会まで開いてくれたな
むちゃくちゃな毎日の中
いつも通りクラブで遊んでたら
モニターに映ったんよね
9・11の、あの大惨事のニュース
その場は騒がしかったけど
音楽は流れてたけど
皆モニター釘付け
即効で家帰ってTVつけた
ずーっとニュース
シェアしてた同居人は寝てたけどww
次の日から色々な情報が錯綜して
めちゃくちゃ心配で、色々不安で
オーストラリアに行ってから
ホームシックになった事は
1回もなかったけど
さすがに帰ろうと思ったよ
だから素直に帰ったのだよ
12月にね
彼はいつも通りで
そう日常が返ってくるはずだったけど
実家にはもう私の部屋は無くて
これは悲しい現実ではなくて
実際問題、妹弟がデカくなってた
24才で帰ってきたから
妹15才、弟が12才
そして両親に言われた
オーストラリアに行った時点で出ていったと思う事にしたから、独りで暮らしなさい
はーいって事で独り暮らし
独り暮らしするには稼がねばって事で
消費者金融へ就職
まぁ想像通り、壮絶な現場
人間の底辺の世界
給料良かったから続けたけど
友達と上司の不祥事(横領)で
あえなくKO負け、退散したよ
人間不振に拍車かけたね
その間、彼とは愛を育んで・・・たはず
なんだが
25才のクリスマスイブイブ前日
薬指の号数を聞かれ
クリスマスイブイブに指輪をもらう
翌年のバレンタインデーに別れ話
超特大パニック
メガトン級のカウンターくらって
激ヤセww
この頃が一番痩せてたよ、トホホ
這い上がるべく
6歳年下のイケメンと付き合ったけど
如何せん、私は変態
良い意味での変態なので
ノーマルなイケメンとは合わず
3ヶ月くらいでTheEnd
ちょうどメガトンパンチより遡る事
数ヶ月前
お気に入りのバンドのライブで
対バンしていたギャバに出会うのだ
そう、旦那さんの前のバンド
ギャバのフィドルのお姉さんと懇意になり
恋愛相談なんかをしつつ
なんとなーくギャバの中で誰?なんて
よくある女子話になり
消去法で旦那さんを選んだのが始まり
メールでやりとり
年越しライブのあと
呆気なく付き合い始めたのだー
翌年、京都から脱出するべく
結婚する事を決め、いざゆかん
で、伊勢に来て10年
ここまで長いなーww
私のしょーもない京都人生はこんな感じ
ここから伊勢編(まだ続くww)
伊勢に引っ越すと同時に
あられさん(茶色ミケ)も一緒に住む事に
父上、よねさん(旦那祖母)と同居
すぐさま働き口を探して労金へ派遣
そこでリンゴさん(黒モジャ)と出会って
トラたち(山の子たち)にも出会うのだ
その間、仙台の母上にご挨拶へも行ったね
トラたちに会ってから
私の人生激変
そう、山へ行く事が決定
この事はブログでも書いてるので割愛
センターさんとかもね
そんなこんなで
9年くらい、毎日、家族の誰かが
山行ってー
センターさん行ってー
ってしてるよ
ここ数年は友達の犬猫世話もね
その間、よねさんの介護したり
よねさんを看取ったり
父上が腎臓患って看病したり
私も身体を壊したり
古本屋ぽらんを旦那さんが切り盛りしたり
他にも色々たくさんあったね
ギャバの解散
ギャバのドラムの死
旦那さんの友人の死
良い土の結成
私の幼なじみの死
父上の兄ちゃんの死
よねさんの妹の死
梅太郎との出会い
こまちとの出会い
ぺいじとの出会い
だいちゃんとの出会い
佐之助の死
妹の結婚と出産
私の華麗な20キロ増量
様々な人たちとの出会いや別れ
キックボクササイズとの出会い
香良洲の整体の先生との出会い
私の再就職の決断
もぉ書ききれないくらいなので
この辺でww
そんなこんなで40年生きてきて
今も現在進行形で生きているのだ
今日から41年目
新たに刻む歴史が始まる
もぉ明日にでも死ぬんじゃないかと
思ってしまう文章になったけど
まだ死なないし、死ねない
昨今、世間では色々問題が勃発
ミサイルが飛んでくるなら
どうか古本屋ぽらんに目掛けてと願い
それを受け止める覚悟くらいは出来ている
皆嫌だろうから
その時は真っ先に死ぬ覚悟くらいはある
40年振り返っても
自分のしたい事はやってきたので
いつ死んでも良いよーに
毎日を悔やまずに生きているの
一条ゆかりが言ってたかな?
後悔はまとめて死ぬときに
私もずっとそう思って生きているのだ
まぁこんな人生を歩いた私ですが
41年目からも
一先ず、宜しくお願い申し上げます
平成29年8月19日 奥村 祐佳
追伸
良い土はまだまだ頑張ってるので
暖かく気長に見守ってて下さいな
あー御披露目したいー