神でさえ、死を喜ばないのなら、その神を信じ、信仰を持っていると主張するならば、その神の物事の見方に倣うよう努めるのが、道理だと思うのです。イエスは、私を見た者は、父をも見たのですと述べていますから、イエスの記述を読むと神がどんな方であるか、どんな風に物事を扱われ方をするか、人間に対する接し方がよく分かります。イエスは、どんな人々にも平等に親切に接しました。ただ、当時の宗教指導者たちには、厳しく接しました。なぜなら、彼らが、弱者を虐げ、愛や憐れみに欠けた態度を取っていたからです。当時は、モーセの律法下にありましたが、彼らが、その律法の裏側にある神の公正や憐れみを無視し、律法の本当の意味するところを理解していなかったからです。特にイエスは、社会的弱者に主に目を留めていました。周囲が蔑む人や罪を犯し、良心の痛みを覚えている人に優しい同情心を持って、接していました。聖書は、神の目に悪い事柄が書かれてますが、それを行っている人がいたとしても、あくまで裁くのは、神の権限です。ただの人間がどうのこうの言う権限は無いのです。だから、人を裁いてはならないとあるのです。それに神はどんな人も受け入れられるとありますし、義人は1人もいないとありますし、一部の組織が神に認められているとは書いていないのです。それなのに、自称エホバの証人F氏は、ただの人間である統治体を崇拝させ、独自の聖書解釈をしているものみの塔の解釈を更に独自に解釈して、女性のクリスチャンばかり狙って、言葉の暴力で人を傷つけています。彼の呟きを見ている人は、きっと神やイエス、聖書を誤解しかねない。やたら悪魔を連呼する辺り、神ではなく、悪魔に取り憑かれているのでは?と思ってしまいます。どんな人生を歩んだのか、どんな背景、環境を持っているのかは分かりません。この方なりに、自分の正義があるのでしょう。ですが、自分が正しいと思っているから、相手に何を言っても、傷つけてもいいわけではありません。そういう風にしか、人と接することが出来ないF氏を哀れに思います。蒔いた物は刈り取るというのが、人間の原則ですから、F氏もいつか自分で吐いた罵詈雑言の言葉の暴力の結果を刈り取ることになるでしょう。たくさんの方々が忠告したのですが、彼は人の話を全く聞けない、自分の意見以外は、全部悪魔の意見だと狂信してます。カルトって怖いと思いました。まさに狂気の沙汰です。