父への祈りと私の遺言? |     みやこわすれの料理・つれづれ記

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  風邪から3日目、とてもひどく無理が全く効かなくなった私はアン・サリーを


聴く気力も失せ、窓いっぱいに広がる山桜の透き通るような新緑に身をゆだね


ました。ラブラブ



そしてひたすら、枕元に飾ってある亡き父の写真に向かって祈り続けました。


その写真は中日新聞の取材の時のとても自然な笑顔で、最も父らしく私は


枕元に飾っています。



  考えてみれば、先月の月命日の日に父の祭壇の近くで倒れ、父に 「助けて


下さい」 と祈り、今月の月命日の前日にあまりの苦しさに父に 「命日までに


治して下さい」 と必死で祈りました。


そして、もう片側の枕元の上側に向源寺の十一面観音立像の写真を次男が


額に入れてライトアップしてありましたが、私が 「あまりに八等身の美仏すぎて


すがる気持ちになれない」 と言ったので、早速次男が40分かかって私の好きな


中宮寺(奈良)の弥勒菩薩の大きな写真を雑誌から切り取って額に入れてくれた


ものを枕元に取り付け、ライトアップしてくれました。


穏やかな微笑みの仏様です。虹


私は弥勒菩薩に向かっても 「絶対に月命日の日までに治して下さい」 と手を


合わせました。


そして次男に 「お母さん、明日目が覚めないような気がするの。 今まで必死に


守ってくれてありがとうね。 これからは自分の人生を大事にしてね」 と伝え


ました。


すると次男が 「何でそんな悲観的なことを言うんだよ!僕が走り回っている意味


がないじゃないか!お母さんは、じっとしてることが苦手だけど、今はじっと


耐えないと仕方ないんだよ」 と私を叱りました。


それで、私は 「お兄ちゃんを呼んで・・・・」 という言葉を控えました。


 

  翌朝、父の命日の日の朝3時半、私は目覚めると 「峠は越えたわ」 という


嬉しい実感がありました。クラッカー


命日の日、私は父の祭壇の写真に向かって4回は長く話しました。


2回は次男とともに・・・・


お父さん、また助けてくれてありがとう。


これからも私や息子達を守ってね・・・・