私と仏像 |     みやこわすれの料理・つれづれ記

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信心深い方ではないが、学生時代に、「親鸞」の本を読んで、いたく、感動したことが


あります。


無信仰の私でしたが、突然の肩の難病になって、激痛に悩まされ、お箸も持てず、


着替えもできないといった風に、日常生活にも困った頃に、知らず知らずに、


神や仏に手を合わせて、必死で祈っていました。


主人は、入江泰吉さんの木端仏(こっぱぶつ)を真似して、器用にも、何体かの


仏像を彫ってくれました。


主人と次男と3人で行った(その頃、長男は関西にいました。)上野の「仏像展」で、


購入した、白州正子が愛した”向源寺の十一面観音菩薩立像”の大きな写真を


額に入れ、毎晩、寝る時、スポットライトをあてています。


「仏像展」では、一つ一つが、心惹かれる仏像でしたが、中でも、この“向源寺の


十一面観音菩薩立像”は、腰を少しくねらせて、女らしい、たおやかな御仏でした。


毎晩、寝る前に、次男が、般若心経を読んでくれ、安らかに眠ることができます。


 それまで、貴族だけの仏教だったのが、浄土宗を開いた”法然”と、浄土真宗


の宗祖”親鸞”は、極楽を夢見る民衆を導き、仏教を大衆化しました。


”南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)”と、唱えれば、誰もが、浄土に行けるという


”法然”の教えは、革命的で、現世で苦しみ、往生もかなわぬ民衆は光明を


見ました。


未曾有の天災と人災に襲われ、明日も描けず、もがく人がいる今も、全てを


救うという思想は、色あせないでしょう。


 少し前に、「遠くへ行きたい」というテレビ番組で、<近江 宮本亜門と秘仏めぐり>


と言うのを見ました。


湖北の観音の里である長浜市で、平安時代の「十一面観音菩薩像(国重文)」を見、


右足の親指を、前に踏み出して、まさに、助けようとして下さっている姿に、大きな


母性、ゆりかごの中に包まれたような安堵感を感じたと、宮本氏は言って


みえました。


石道寺(しゃくどうじ)の平安時代後期の「十一面観音菩薩像(国重文)」も、右足の


親指を踏み出して、助けようとしているお姿でした。


これらの仏像は、村人達によって、交代で守られているそうです。


村人たちが、受け継いでいるという熱い想いに、感動し、「ますます仏様に恋した」


という宮本氏の感想でした。