国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に中国が申請していた旧日本軍による南京事件に関する資料11点が登録された。
同時に申請された「従軍慰安婦」に関する資料の登録は却下された。これは日本にとっては、かなり大きな外交的失点であるし、中国の国連外交の底力を見せつけられた、といっていいだろう。今後の日中関係にも大いに影響すると思われるので、今回は中国側の立場と思惑を中心に、このテーマに日本はどう対処していけばよいの
か、を考えてみたい。
新華社「中国の申請が成功」
中国国営新華社通信はこう報じている。
「中国の申請が成功し、"南京大虐殺公文書(中国語で档案)"が正式に国連世界記憶遺産に登録された。現地時間の9日夜、パリのユネスコ本部が2015年の世界記憶遺産登録リストを公表し、新たに登録された47項目の中に"南京大虐殺公文書"の名前があった。同時に日本軍の強制慰安婦関連資料は残念ながら落選した。
これにより、大戦史上三大人類大虐殺(南京大虐殺、アウシュビッツ強制収容所、広島原爆投下)に関する歴史史料がすべて世界文化遺産に入った」
「2010年3月に、世界記憶遺産暫定リストに申請。2014年6月、ユネスコの世界記憶遺産事務局側が中国側の申請した資料11点について受理した。今年10月4~6日に、国際諮問委員会がアラブ首長国連邦アブダビで開かれた第12回会議で、世界から申請のあった90項目のリストに関して審査した。これに"南京大虐殺公文書"と"慰安婦-日本軍性奴隷公文書"が含まれる。
ユネスコの紹介文によると、"南京大虐殺公文書"は三部構成になっており、
①1937~1938年当時の南京大虐殺事件に関する資料
②1945~1947年の中華民国政府軍事法廷の戦後調査と戦犯判決に関する資料
③1952~1956年の年中華人民強国司法機関の文献に分類される。"性奴隷公文書"は1931~1949年の慰安婦の実態と彼女らが遭遇した苦痛の記録である」
"公文書"の中には含まれるのは具体的には次のようなものだという。
①国際安全区の金陵女史分離学院舎監の程瑞芳の日記
②米国牧師のジョン・マギーの16ミリカメラとオリジナルフィルム
③南京市民・羅瑾が死守した日本軍が平民を虐殺したり、女性をいたぶり強姦している様子を自ら写した写真
④中国人・呉旋が南京臨時参議会に贈った日本軍の暴行写真
⑤南京軍事法廷での日本戦犯・谷寿夫への判決文の原本、米国人・ベイツの南京軍事法廷上での証言
⑥南京事件での生存者・陸李秀英の証言
⑦南京市臨時参議会南京大虐殺事件敵人罪行調査委員会調査表
⑧南京軍事法廷での調査罪証
⑨"南京占領-目撃者記述"と題された外国人の日記、南京市民の証言…。
中国の重要な外交カードに
新華社によれば、「これら内容の真実性、重要性、独自性は、ユネスコに次のように評価された。"この公文書の歴史的ルーツは明晰であり、記録の真実性は信用できる。資料が相互に補完し合って、完全な一連の証拠となっている。"
南京大虐殺記念館の朱成山館長は『"南京大虐殺公文書"は人類の傷跡の記憶の一部であり、人類文明の発展に対して十分重要な啓示的意義があり、世界遺産の地位にふさわしいと思う』とコメント。
南京市師範大学南京大虐殺研究センター主任の張連紅教授は『中国史学専門家と民衆は、この世界記憶遺産申請の成功は日本の右翼勢力に対する有力な反駁と反撃になるだけでなく、日本社会の認知度を改変し、正確な歴史観の樹立のたすけとなり、また世界人民の戦争の残酷性、歴史の記憶、平和を尊び気持ち、人類の尊厳を共に守るということへの認識の一助となるだろう』と語った」
新華社報道を一読して分かるように、中国は何年もかけて、この南
京事件の世界記憶遺産登録にむけて準備をしてきた。私は「南京事件がなかった」という立場ではない。だが、ベイツ・リポートやマギー・フィルムなど、その信ぴょう性が論争の的になっている資料をまとめて"南京大虐殺公文書"と名付けてしまう中国の歴史認識国際プロパガンダに、このまま流されてしまうことは、日本の外交にとってはかなり危険であろうと感じている。このあたりの歴史は、今後の中国の領土・主権の主張や、外交駆け引きの重要なカードになっていくだろう。
南京事件とは、どういう事件であったかについては、日本国内でも、「こういう事実があった」と断言できる人は決して多くなく、一方「なかった」という証拠も何ひとつなく、その犠牲者の数についても規模
についても議論がある。
南京事件についての研究者や、その論文、書籍は、中国よりもむしろ日本の方が多く、その研究も進んでいると思われるが、自由な研究や言論が活発なほど、その真相というのが一層わからなくなってくるものなのだ。その点、中国は歴史というものを「真実の追求」で
はなく、あきらかに政治として取り扱っているので、政府が、大虐殺があった、と断言すればあったことになり、犠牲者が30万人といえば30万人が事実になる。
真実の追求か、政府の断言か
南京事件の残虐な写真として中国で流布していたものが、実は同じ年の1937年7月29日に通州(現在の北京市通州区)で起きた日本人居留民虐殺事件の写真であったとか、南京虐殺の犠牲者写真として新聞に使用されていた生首の写真が、じつは1931年の馬賊の処刑写真であったとか、かつて南京事件の"証拠"とされてきたものの中にフェイクが混じっていた。
あの時代の戦争で、旧日本軍が捕虜や民間人の殺害を行わなかったということは私自身、あり得ないと思っているが、ではドイツ・ナチスの民族浄化や長崎・広島の原爆投下と並べられる規模の大虐殺が繰り広げられたのだ、と断言されれば、そうではないだろうと反論したい気持ちは抑えられない。
厄介なのは、日本とて清廉潔白であるとは言い難く、あの当時の戦争の常であったとはいえ、戦時国際法に違反する行為は多々あったと思われることだ。それが国民党軍の行ってきたような黄河決壊作戦などとどちらが非道であったか、という比較はひとまずおいておこう。
卑近な例を挙げて考えれば、ある組織の中で、周囲の雰囲気に流されて、昔にセクハラ行為をやった男が、そのセクハラ被害者にレイプ犯だと訴えられたとき、「俺は何もやっていない!」と言えるかどうか。しかしながら、ほうっておけば、やったこと以上の何倍もの罪をかぶせられる。当時、被害者は圧倒的弱者であったが、いまや出世して発言権も強くなり、周到に根回して周囲を味方につけてしまった…。
こういう状況で、自らの冤罪を晴らす、あるいは正確な罪の大きさを
はかるにはどういう方法があるか、という話である。
それにはまず、南京事件について、なぜ中国が自国の主張する歴史認識を国際社会にかくも確実に広めることができたかを考えないといけない。
かつて中国の「パブリックディプロマシー(公共外交=民間の文化・
人的交流などを通じて相手国の世論を自国に有利に誘導する外交の在り方)」について取材したとき、清華大学のある専門家から「日本はアニメや漫画など公共外交に必要な文化資源を中国より多く持ち、自国の国際社会でのイメージアップに非常に成功している。だが一つ大きな失敗をした。それが歴史認識世論の形成の失敗だろう」と指摘されたことがある。
米国の「日本洗脳」を研究した中国
中国は21世紀に入ってから、公共外交でいかに中国の利益になる国際世論を形成するかという研究に力を入れている。そうした研究や論評の中で散見するテーマの一つに「米国はいかに日本を洗脳したのか」というのがある。
いわゆるWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)についての研究や考察である。米国に原爆を落とされた日本が、なぜ、
米国を恨まずに同盟国になりえたのか。それは、米国の巧妙な洗脳戦(WGIP)の成果である、という見方である。
「この洗脳戦の最大の特色は、日本人と日本人のイデオロギー戦を設計したことである。つまり、米国の利益を代表する日本人とその他日本人の"戦争"である」(2010年12月 党政論壇幹部文摘『第二次大戦後の米国の"日本洗脳"』)。平和憲法、教育制度やメディアを通じて、日本人が日本人を洗脳したことによって、日本人は洗脳されたという意識をもないまま、原爆投下した米国への恨みよりも罪悪感をすりこまれた。そのプロセスについて、中国共産党の専門家たちはかなり研究している。もう少し言えば、その米国のやり方を、中国も踏襲しようと考えて研究しているのである。
つまり、日本国内の平和主義者、リベラル左派に中国利益を代弁させ、日本の世論形成に影響力を与える。そういう平和主義者を育
てたのはもともと米国の戦略である。ただ、米国の育てたリベラル派はその後、国際社会の構造変化の中で"反米親中"的になり、保守派が"親米反中"的になってしまうという捻じれが起きた。中国の外交路線の基本は、こういう戦後の日本のイデオロギー対立状況をよく理解した上での日米離反にある。中国はこうした米国がうまく日本人に植え付けた戦争の罪悪感に乗る形で、南京事件を30万人大虐殺とするロビー活動を展開してきた。
敗戦直後に南京事件を「30万人大虐殺」という形に定着させたのは
米国の思惑も働いていると言えるかもしれない。
南京軍事法廷、東京裁判でこの大虐殺説を支えたのは、ベイツやルイス・スマイス(金陵大学社会学部教授)、ロバート・ウィルソン(金陵大学付属鼓楼病院勤務医)、ジョージ・アシュモア・フィッチ(YMCA南京支部長)、ティルマン・ダーディン(NYタイムズ記者)といった米
国人たちの証言だった。
彼らが明確に意識していたかは別として、そこに日本が、原爆投下
や東京無差別爆撃以上の非道を南京で働いたのだという"事実"は、少しは米国人の良心の呵責を和らげることになったのではないか。
戦勝国が中心となっている国連で、日本を最悪の罪人にすることは中国にとって決して難しいことではなかった。
今年秋、解放軍八一製作所が制作した抗日映画「カイロ宣言」は、米国原爆投下を日本がポツダム宣言受諾勧告を無視した「懲罰」だと、正当化している。こうして米国の"正義"を肯定する延長上に、今の中国の歴史認識プロパガンダがある。
そういう中国の戦略に日本政府が、なんの対抗策ももてずに来た
のは、一つには日本国内の世論が最大の障害となったのだと思う。外交官も含め、日本人の心の中には「30万人は多いとしても、やはり虐殺はあったのだから、言い返せない」という罪悪感が、対抗アクションを躊躇させてきたのだ。
改めて、歴史認識とは政治である
では、こういう事態になって日本は今後どうすればよいのだろうか。
いまさら世界遺産登録を撤回することは可能なのか。米国やイスラエルのように、ユネスコ分担金負担を拒否して抗議の意志を表明す
るという意見も日本与党から出たが、日本の世論はどちらかというと否定的であるようだし、政府内からも慎重さを求める声が出ている。
日本がこうした形で国連と対決姿勢を強めることこそ中国の狙うところではないかという懸念もある。分担金拒否によって、なんらかの勝
算が見込めるなら別だが、思い付きとはったりだけで勝負するならば、中国の方が何枚か上手であろう。むしろ、日本に今も昔も求められてきたのは、表だった強行姿勢ではなく、水面下の巧妙な外交で
はないかと思う。
正規の外交のことは外交官・政治家に任せるとして、日本の国民と
して改めて考えるべきは、「歴史認識」とは政治である、という点だろう。
日本人の多くは歴史を過去の事実の連なりだと考えているが、世界の多くの国にとって、歴史とは国家の正統性を裏付ける政治である。そこにすぐばれる嘘があってはならないにしても、巧妙に自国の
国益にかなう解釈を加える。そういった自国の利益にかなう歴史認識を国際社会に広めるために、海外の世論に公共外交と言う形で働きかけるのである。
私たちはすぐ、歴史的事実に拘るが、南京事件のように77年たっても真相がつかめない歴史事件については、いっそ完全に政治としての冷徹な視点で、日本人としてどのように向き合うかを考えてみてはどうだろうか。あの歴史的事件を当事国としての罪悪感から考えるのではなく、その歴史認識が国際政治の中でどのような意味や影響力を持つかを考えてみるのである。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/218009/102000018/?n_cid=nbpnbo_mlp&rt=nocnt