・ (ラエリアンムーブメント・アジア大陸代表のブログより)
武田邦彦教授
御嶽山噴火(2) 大学教授はなぜ国の委員になりたがるのか?


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このブログで「専門家の責任」について何回も書いた。それは、「科学に関係することで、こんなルーズはことをしていたら、いつか大事故が起こる」と思ったからで、福島原発事故、そして今回、御嶽山噴火事故が起こった。いずれも天変地異ではなく、想定外でもなく、日本の専門家の無責任とそれを許す社会にある。


私としては残念だ。 科学を専門とするものとして犠牲になった方に申し訳ない。今回は、「決定できる力もないし、責任も取る気のない東大教授が噴火予知連絡会の会長になる」ということが起こったからだ。


とにかく、東大教授を中心とした大学教授はなぜか国の委員になりたがる。国の委員は、僅かな報酬で、東京の会議室まで行き、つまらない委員会に2時間ほど付き合って帰る。自由に行動したり、発言したりもできにない。でも、なぜか先生方は国の委員になりたがる。


なぜか、答えは簡単で「メリットが多く、責任がない」からだ。そんな仕事はこの世にない。会社の重役になれば給料も上がるけれど、会社の収益や倒産の責任はとらなければならない。そんなことは決まっている。


でも、国の委員ほど気楽なものはない自分の権限範囲で人が死んでも責任を取らなくても良い。なんの罪もない人が命を落とすだけだ。今回の御嶽山噴火事件でも、レベル1からレベル2に上げる決意がつかなかったと説明された。それなら決意がつかないときに辞任するか、「私にはわからないのでレベル設定を止めます」といえば良いが、それはプライドが許さない。つまり人の命より自分のプライドであることがはっきりわかる。


予兆はあった。記者会見では気象庁が予兆がなかったといったが、下図のような予兆があったが、それを判断する学力がなかっただけだ。

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一方、国の委員になるメリットは多い。委員長や座長ならなおさらだ。

まず研究費は国が決めるから国の委員をしておけば学問的力に関係なく研究費が増える。研究費が増えればそれを配下の教授に配ることができ、権限も増え、学会長にもなり、勲章も近くなり、大学を定年退官したあとの就職を世話してくれるひとも増える。ただ、研究だけは遅れる(委員会などに出席するから)。


研究よりお金、名誉、退職後の職業が大切なのだ


追加して(録音にはない)、今日のテレビを見ると「予測できないのは仕方がない」ということを言う人がいたが、予測ができなければ予測しないのが正しい予測できないのに、レベル1などと予測するから犠牲者がでる。こんなことをテレビで言ってもらっては困る。


もう一つ。御嶽山の噴火では大勢の人が犠牲になった。でも「研究倫理」やらを専門としてSTAP事件でテレビに出ていた人は今回はもっと大きな科学の倫理問題なのに、登場しない。小保方さんが一つの論文を自由な立場で出しても、社会はなんの具体的な損害もない。好きな人が論文を読んで興味を持つだけだ。でも、予知連絡会ともなれば、国の委員会が間違えると大勢の犠牲者がでる。責任は噴火予知委員会会長の方が重たいのは当然だが、「倫理」を専門としているという専門家は、小保方さんが弱いと見るとバッシングし、予知を誤った東大教授は批判をしない。あとで仕返しをされるからだ


それで倫理というなら、倫理の専門家をやめたほうがよい。小保方さんを盛んに批判したNHKや関西の民放、それに分子生物学会なども「小保方さんより、若山さんの責任が重い。それよりはるかに噴火予知委員長の責任が重い」と言うべきだ。社会は万人に対して公平でなければならない。


でも、日本の学会がこれで良いはずはない。学問をしたい人は自由な研究ができるのだから国の委員にならなければ良いが、そうなると「火山村」から追い出されて研究費がもらえない。結果、国民は「御嶽山はレベル1。自由に登山が楽しめます」と言われて、紅葉を楽しみに御嶽山に上り、その挙句に死ぬ。レベル1を決めた人は一言も詫びない。

(平成26929日)



武田邦彦











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