戦後、日本の状況を知っている政治家がまたもや戦争擁護するつもりでしょうか。そういう人達は脳が壊れている人たちです。はっきり言います、脳の病気です。原始的な野蛮人です。話し合いで決着をつけることもできない原始人です。第二次大戦の頃とは国内の状況が違いますが、現代に70年前の人たちと同じ原始的な判断しかできないのでしょうか。その結果相手国も日本国内においても悲惨な結果になる事を意識できない人たちは政治家の資格はありませんよ。その結果が、現在起きている問題は木に例えると小枝の問題かもしれませんが、重要な事ですよね。

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アメリカにけんかを売った橋下市長を応援したくなる「米軍の日本婦女子陵辱ファイル」
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アメリカにけんかを売った橋下市長を応援したくなる「米軍の日本婦女子陵辱ファイル」

(太陽光発電日記 by 太陽に集いしもの)より 

戦前世界中の軍隊が利用していた慰安婦制度を必要悪である」と評した橋下市長を、アメリカ政府高官が名指しで非難したことで、アメリカ情報機関の配下である日本のマスコミをはじめとした「橋下たたき」が盛り上がっています。


しかし冷静に議論の中身を見てみると、筋が通っているのは橋下市長のほうで、たたいているほうは、レッテル張り主体の印象誘導で「女性差別だ!犯罪行為の容認だ!」と騒いでいるだけにしか思えません。


橋下市長の発言の主旨は、「戦前どこの国の軍隊でも慰安婦制度を活用していた。

そのことの是非はともかく、そうした当時の社会的背景の中で、他国と同じように存在していた日本の慰安婦制度だけをとりあげ、日本が国家的性犯罪を犯していたかのように非難されるのは筋が通らない」ということです。

日本が国家政策として他国の女性を強制連行して従軍慰安婦にしたのなら、その犯罪性を非難されても当然のことですが、事実は、日本国政府として、他国と同じように従軍慰安婦の存在を認めていただけのことですから、橋下市長の言い分は間違ってないと思います。

むしろ問題なのは、「日本国政府が朝鮮人を強制連行をした」といううそが韓国により世界に発信され拡されたことで、世界中で日本が朝鮮女性を強制連行して従軍慰安婦にしたかのような間違った認識がひろめられ、今回の橋下発言も、そうした過去の日本国の犯罪行為の居直り発言であるかのようにとらえられていることです。


一部の朝鮮人の人買いとそれと結託した一部の日本人により、だまされたり、脅迫されて、意に反して従軍慰安婦にされた人たちが存在したのは事実ですが、日本国政府として朝鮮人を強制連行した事実はありません。


法治国家であった日本の政府が、法的根拠もなく強制連行をできるわけがないということは、少し考えればわかるはずです。

しかし、そんなあたりまえの事実が、「うそを百篇言えば真実にできる」かのような「韓国」のしつこい宣伝行為によりかき消されようとしているということです。

一部の人間が犯した犯罪行為で、「日本」が性犯罪者扱いされるなら、日本を占領していたアメリカ軍の犯罪はどうなんだという気がします。

アメリカの情報機関に支配されている日本のマスコミは、占領下の日本・沖縄での異常な数のレイプ事件・殺人事件の存在を報じませんが、正義の味方面しているアメリカ政府の高官に、過去の事実をつきつけてやりたいと思いますね。

以下引用

Sapio20070411001s

☆封印された占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件ファイル」

(SAPIO(小学館)2007年4月11日号より記事を引用 )

 いまだ数々の戦争犯罪に対して、一度も謝罪したことのない米国に、なぜ毅然とした態度で挑まぬのか。

米国は、日本を非難する前に、ワシントン国立公文書館や米軍公文書館で調査してみよ。

慰安婦非難決議の第4頂にこうある。

「現在と未来の世代にわたり、このようなおぞましい犯罪があったことを教育せよ」 この言葉、そっくりそのまま米国にお返しする。

「8月30日の記録と8月30日~9月10日の統計」

妻36歳、長女17歳に対し拳銃で脅して……

 米軍の不法行為を明らかにする前に、敗戦後、日本政府が日本女性を米軍の「性の暴力」からいかに守るか、苦心惨憺した様子を少し述べてみたい。

日本政府が「慰安所」設置に直接関与したのは、戦時中でなく占領下の米軍(進駐軍)のためにだったのだ。

 1945年8月21日の閣議で近衛文麿国務相が、米軍兵士用の慰安所の設置を主張し、池田勇人主税局長の裁断で5000万円の貸し付けが決定し、1945年8月28日「特殊慰安施設協会」(後に、国際親善協会RAAと改称)が設立された。

 その目的は、「関東地区駐屯軍将校並びに一般兵士の慰安施設」となっていた。

GHQは、1945年9月28日、都内の占領軍人用売春街を指令している。

 しかしこれでも日本人婦女子の貞操が守れなかったのである。

実際は主権回復後まで膨大な数の女性が「強姦」されていた。

ファイルに記された調書をつぶさに見ていこう(公開された文書は被害者の氏名などが黒塗りにされており、その部分は省略して記す)。

強姦事件は、米軍の進駐とほぼ同時に始まっている。

8月30日は横須賀に海兵隊が上陸した日だが、いきなり事件が発生している。


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強姦事件

(一)八月三十日午後六時頃横須賀市OO方女中、34右一人ニテ留守居中、突然米兵二名侵入シ来リ、一名見張リ、一名ハ二階四畳半ニテ○○ヲ強姦セリ。手ロハ予メ検索ト称シ、家内ニ侵人シ、一度外ニ出テ再ビ入リ、女一人ト確認シテ前記犯行セリ

(二)八月三十日午後一時三十分頃横須賀市○○方。米兵二名裏ロヨリ侵入シ、留守居中ノ右同人妻当○○三十六年、長女○○当十七年二対シ、拳銃ヲ擬シ威嚇ノ上、○○ハ二階ニテ、○○ハ勝手口小室ニ於テ、夫々強姦セリ(以下略)》

 同9月1日、房総牛島に米軍上陸。ここでも事件発生。 

《○○方ニ侵入セル米兵三人ニ留守番中ノ妻(ニハ)(中略)奥座敷ニ連行、脅迫ノ上ご三人ニテ輪姦セリ》

 《九月一日午後六時頃トラックニ乗リタル米兵二名(中略)市内○○ニ来り女中一名(24)連レ去リ(中略)野毛山公園内米兵宿舎内二於テ米兵二十七名(ニ)輪姦サレ仮死状態ニ陥リタルモ(中略)三日米兵ニヨリ自宅迄送り届ケラレタリ》

 このような記載が「特高」解散の10月4日まで続く。

 《九月十九日夜十一時頃、(横浜市)保土谷区、出征中○○妻(27)、(中略)ニ侵入シ「ジャックナイフ」デ情交ヲ迫リ、被害者之ヲ拒否シテ戸外二逃避セルヲ(中略)畠(畑)ニ連行、三名ニテ輪姦シタル。

更二連中ノ三名ノ黒人兵ガ同所二於テ輪姦逃走セリ》

 調書を総覧すると、米兵の蛮行が眼前に浮かんでくる。

 警察官はいたるところで暴力を振るわれ、拳銃を取り上げられている。

一般人は、「乗用車」「ラジオ」「現金」「腕時計」「背広」や「ゲタ」まで、手当たり次第に強奪されていた。

《九月二日午前十一時三十分頃武装米兵六名ハトラックニテ横浜市中区山手町二ー二番地共立女学校内、校長神保勝也二侵入各室ヲ物色シタル後現金二千七百十圓及ウオルサム腕時計一個ヲ強奪逃走セリ》とこのような「強奪逃走せり」が続くのだ。

 その中に、首を傾げたくなる記述がある。

それは、「民家に米兵が押し入り、若い女性から腕時計だけ強奪して逃走せり」との記述が散見することである。

 貞操は取り返すことができずとも、せめて当時、貴重だった「腕時計」だけでも、取り返したいとの思いから被害届を出していたのではと思われる。

先述した945件の強盗・略奪に強姦(あるいは強姦未遂)も入っているのではないかと考えるのはこのためである。

 このような状況は、神奈川県民を震撼せしめたであろう。

当時の朝日新聞(1945年9月5日付)は三股見出しで「神奈川県の女生徒は休校 教職員が家族を巡回指導」と記している。

 しかし、9月19日、GHQ「プレスコード」が発令されて以後は米兵を批判する記事は、新聞紙面からすべて消えている。

これで米国は、「強姦」など人道上の米軍の犯罪を封印できたと考えたであろう。

しかし記述のように「特高」の調書は、言論統制されてからも継続して綴られていたのだ。

当時の憤りを取材して『黒い春《米軍・パンパン・女たちの戦後》』を1953年に五島勉氏が出版している。

その内容は、調書よりも残酷さがひしひしと伝わってくる。

五島勉氏は1948年から調査を開始し、本人やその家族・友人・事件の目撃者など1000人にも及ぶ面接にもとづいて占頷下の空白時期をまとめた

五島氏は「印刷ミスではない」と断わってこう記す。

 「T子(十一歳・武蔵野市小学五年生)R子(同)A子(同)の三人は、十月(中略)武蔵野の林のなかを仲よく手をつないで歩いていた」 《キャンプ・トコロザワの近くで夢中でスケッチをしていると、まずR子がおそわれ、次々に米軍の餌食になってしまったのだ。

彼女達のスカートは切られ、何か起こったのか全然わからなかった。

R子とA子は気絶し、T子はまた泣き叫ぶと、アメリカ兵は彼女の顔を蹴り、ジープで去った》

(要旨、以下同)

 このような事件が全国で続発している中で、1946年4月東京・大森で恐ろしい事件が勃発した。

 《N病院(=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった)は三台のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。

彼等の総数は二百人とか三百人とかという説もある。

婦人患者のうち重症者をのぞく四十故人と看護婦十七人、ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが凌辱された》

 「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、その上にのりかかった」「二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ」「M子などは続けさまに七人の兵隊に犯され、気絶した」

 そして、「裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、彼等は表玄関と裏口から引き揚げていった」--慄然とする内容である。

 安倍首相や駐米大使がひたすら日本は既に「謝罪している」として、逆に「従軍慰安婦」を既成事実化するかのような姿勢であるのにたいして、自民党の戸井田とおる議員は2月21日の衆院内閣委員会でこう質した。

 「(決議案を提出した)マイク・ホンダ議員に翻訳して差し上げてもらいたい資料がでてきました。

(中略)これは、官報号外、昭和28年2月27日に載った第15回国会の社会党の藤原道子議員の質問の議事録です。

(中略)そこにはこのように書かれてあります。

『米軍の暴行事件は、昨年十二月まで独立後」独立後ですよ、「八ケ月間におきまして千八百七十八件を数え、なお泣き寝入りになっておりまする件数は膨大な数であろうと想像されております」」

 戸井田議員は、この資料で米国に攻めに転じよと言っているわけだ。

同官報にはこう続けられている。

 「各地における青少年の特に性犯罪、学童の桃色遊戯等の取調の際、彼らは係官に対して、アメリカ兵の真似をしたことがなぜ悪いかと反問し、大人の世界に精一杯の抗議をいたしておるのであります」

 いまだ数々の戦争犯罪に対して、一度も謝罪したことのない米国に、なぜ毅然とした態度で挑まぬのか。

米国は、日本を非難する前に、ワシントン国立公文書館や米軍公文書館で調査してみよ。

 慰安婦非難決議の第4頂にこうある。

 「現在と未来の世代にわたり、このようなおぞましい犯罪があったことを教育せよ」 この言葉、そっくりそのまま米国にお返しする。

*加藤良三・駐米大使は決議案か提出されている米国下院議会に、日本政府は慰安婦問題の責任を認めて謝罪を済ませている、元慰安婦への補償としてアジア女性基金に4000万ドルを拠出している、などの書簡を送った。

引用以上

橋下市長ははっきり言って好きじゃなかったですが、今回のことで欧米にけんかを売った彼はいいですね。正直応援したくなりました。


アメリカににらまれたら、小沢一郎じゃないですが、マスコミにつぶされるのが関の山ですが、このさい「脱米自立の旗手」として新境地を開いたらいいんじゃないでしょうか?

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