「だけど‥だれかから生えてくるものを食べるわけにはいかないと思うんだけど。」とバスチアンが言うと、「あら、どうして?幼い子どもはお母さんのお乳をのむでしょ。すばらしいことじゃないの。」とアイゥオーラおばさま。「そりゃあそうだけど‥うんと小さい、赤んぼうの間だけでしょ。」と顔を赤らめながらバスチアン。「それならば、あなたももう一度、うんと小さくおなりなさい、ね、わたしのかわいいぼうや。」アイゥオーラおばさまは顔を輝かせて言うのでした。

 そうこうしているうちに部屋の形が変わり始め、おばさまに促されてふたりは隣の部屋へと移ります。その部屋は広い食堂のような場所で、変なことには家具がすべてばかでかいのでした。

 「変わる家は、いつもおもしろいことを思いつくのよ。今度はぼうやのために、幼い子どもの目にうつる部屋をこしらえたのだわ。…変わる家はね、とっても生き生きしているの。わたしたちの話に加わりたいのよ。だからこんな仕方で、ぼうやに何かいってるのだと思うわ。」

 「おばさまはしょっちゅうひっこさなくちゃならないの?」とバスチアンがたずねると、「しょっちゅうじゃないわ。一日にせいぜい、三回か四回だわね。この変わる家は、ときどき人をからかって変わることもあるの。そうすると、いきなりどの部屋もくるりとひっくりかえったりするわ。でもそんなのは、はしゃぎすぎただけのことだから、わたしがよくさとしてやれば、すぐにまたおとなしくなるわ。根はとっても気のいい家で、わたしにはほんとに住み心地がいいの。わたしたち、よくいっしょに大笑いするのよ。」


 家というものは、住む人と一緒に生きているものだなぁ‥とよく思います。どんなに古くても人が住んでいると生き生きとしてさびれてはいません。一方、どんなに新しく立派な家でも、人が去ったとたんにどこかさびれて生気がなくなってしまいます。まるでいのちの火が消えてしまったように‥。「空き家」はなんとなくその雰囲気でそれとわかるものです。

 一見いのちを持たないように思える‘もの’と人とは、つねにエネルギーを交流させていると私は思います。‘もの’は持ち主のために喜んで働いてくれているかのようです。

 だからときには「当然そこにある」かのような‘もの’たちに、感謝の言葉を伝えてみるのもいいかもしれませんね。

 きっと喜んでくれるんじゃないかなぁ…。
                                   
                                    Buona Fortuna!
引用、参考は前回に同じ