あるがままに愛されたい―その望みを自覚してからバスチアンがイスカールナリの舞に加わることはありませんでした。船首に座り、くる日も来る日も霧の海の彼方を見つめる毎日‥。するとある日、船は向こう岸にたどり着きます。次の望みへと通じる道が開かれたのですね。


 強く何かを望んでいると、ある日唐突にそこへ至る道が通じるように思います。「人は自分のなりたいものになる」そうですが、その望みは無意識のうちに育まれ、時が満ちると意識に昇ってくるような気もします。

 無意識に育まれる望みは、どこからやってくるのか‥。予め人生のブループリントのようなものを持って我々は生まれて来るのか‥。

 人生の展開というものは、自分の想像をはるかに超えたものだなぁ‥と、近ごろ思います。今いる場所を、10年前の自分は‥いえ、3年前の自分でさえ‥もしかすると1年前の自分すら想像していなかった‥。

 10年前から住所も職場も変えてはいませんが(笑)、存在する場所‥こころの在りようはまったく別の場所にいて、おそらくはそれに次いで、自分がいるべき物理的な場所も変わってゆくのかもしれません。

 こうした変化はいつ、どのように起こっているのでしょうねぇ‥。

 自分で選んでいる道のようでいて、なにか「選ばせられてる」気がしなくもない‥。

 でも一つ確かなことは、こころがYESと言わないと、その方向へは展開して行かないということ。頭がYESと言っても真の心がNOであれば、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりして、結局はあきらめさせられるか、進路変更を余儀なくされるかになってしまうこと。

 この物語ではくりかえしくりかえし「道は見出すもの」というテーマが描かれますが、まさに真の道はこころの中にあるのであって、物理的な世界にあるのではないのかもしれませんねぇ‥。

 
 今日は中秋の名月―。大きく満ちた月は、目にみえない様々な影響を人に及ぼしていることでしょう。こういう夜は月の魔法にかかるに限る!
                                 
                                    Buona Fortuna!
引用・参考は前回に同じ