宿題が出ない!と担任や主任に訴えても変わらなかった2年前。


今度こそは許さない!!と思ってた先週木曜日。やっぱり宿題が無い。


なので「次男が宿題を持ち帰り、自分には無いことを気にしている。来週くらいから始めて下さい」と連絡帳に記載。


お迎えに行った母も直接先生に「宿題どうなりました?」と聞いてくれました。


すると、金曜日。




1ヶ月分?のまさかのまとめて宿題渡されました。しかも、1年生の内容。


他の先生は毎日持たせる形なのになぜ??と私の怒りのボルテージは下がりません。


さらに、連絡ノートに「どのくらいできるか分からない」と書いてありました。


怒りのボルテージ振り切る。


できるだけ心を落ち着かせて連絡ノートに書きました。


「分からないとはどういう事ですか?前の担任から引き継ぎなどしないのですか?また1年生の勉強から始めるのですか??」



そうしたら、今日は今の長男の進み具合に合わせた宿題(これまた1ヶ月分)が出ました。


なぜ、最初からそう出来ないのか。


先生のやり方があるのは重々分かるけれど、疑問に思う事は積極的に言わなければならないなと実感。


とりあえず宿題が出たので、まだ学校に電話はしていません。


本当はこんな事はしたくないけど、うるさい親になろうと思います。


2年前は他を知らず、それがこの学校のやり方なのかも。と思っていたけど、そうじゃないことが分かった今、先生の言いなりにばかりにしていたら本当に怖い。


きっと先生も私は「適当にしても文句を言わない親」と言う認識のはず。今回ばかりは意見要望をきちんと伝えて先生にウザいと思われるくらい向き合おうと決意しました。

新担任が発表されて数日、私絶望してます。


ここにも書いていた長男2年時の最悪だった先生がまた担任になったからです。



支援学級の先生なので、長男にとっては最重要な担任。


親が担任選考に口を出せないのは重々承知ですが耐えられません。


始業式でまた担任になったと言われた時の絶望。そして「また5.6人担当で増えたから大変」のような事を言ってきた。


私はグッと堪えて「宿題を頑張れるようになって、何よりも優先して宿題を終わらせるようになりました」と釘を刺した。


そう、この先生は宿題を出してくれず、お願いしてもシールを持たせて「好きなところ音読してきて」と言った先生。
その後に支援学級主任の先生に話しましたが(この先生も苦手)何一つ変わりませんでした。


長男に聞いたら支援クラスに「2年生が4人」との情報が。この先生、2年だった長男に1年生に手がかかるからと手が掛けられません!と言った先生。
長男以外にクラスに2年だけ4人…クラス編成もおかしいし、長男が見てもらえない可能性が高すぎます。
さらに恐ろしい事に支援クラスが増えてしまい教室が他の支援学級と隣接してません。だから先生が何しようが、サボろうが分かりません。


それ以外にもまだ2年生だった長男を「勉強より就業支援にしては」と懇談で私に言った先生。聞いてた?まずは足し算引き算掛け算割り算の基本をしっかりさせたいと言ったばかりだよね?
この先生の時に漢字の勉強を1文字も学校でせず、国語の教科書終わりました!と訳のわからない事を言われた長男。今では昨年の担任の先生の力もあり都道府県名の漢字を見て答えられるくらい読めるようになりましたけど。

とにかく、不信感、不信感、不信感しかなくて心が苦しい。

前の担任にやんわりとこの先生が嫌だからどうにかならないかと相談しました。釘を刺しました。今年は支援学級が9クラスに増えたにも関わらず、どうして長男が9分の1に当たらなくてはならなかったのか。


学校に対しても不信感しかなくて苦しいです。


こんなに不信感しか無いのに長男の人生を預ける勇気がないです。1年辛すぎます。耐えられない。


モンスターペアレントと言われても構わないので、明日、連絡ノートに宿題について書き、それでも宿題を持ち帰らない、もしくは音読してこいと同等の適当宿題なら、学校に電話して校長先生に面談を申し込むつもりです。


2年前の事で不信感があり、担任にして欲しくない旨を前担任にお話していたこと、不信感しかない先生に預けるのが辛いこと。

感情的にならず話すため、紙に書いておきたいと思ってます。


2年生の1年は長男にとって勉強面を捨てた学校生活でした。そんな事、ただでさえ支援学級なのに2年も捨てれません。


心を落ち着かせる意味を込めてここに記録として書き記していきます。

このブログを書いた事をすっかり忘れてたけど、有言実行で丸1年後に離婚してた事に驚いた笑


この決意通りに離婚した訳ではなくて、元旦那はこの時の会社を辞め、次の会社に転職し案の定クビになったのが丸1年後だったんですよね。


でも、ここに書いてある事はもう夫婦としてはとっくに終わっていたけど、家族としても一緒にいる事すら辛くなった出来事でした。


この後に私が入院したのですが、

何日も高熱が出てカロナールで誤魔化した結果、唾も飲み込めないほど喉が痛み血液炎症反応が高すぎて即入院と宣告された人間に向かって『俺たちのご飯は?』と言われたのも離婚に拍車をかけました。


振り返りブログが上がる度に離婚の話が出てきて笑えるな。


大変だったけど、今は笑えてるようになったんだな(しみじみ)