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もしあなたが、あらゆる病院にかかり、様々な検査や治療を受けても、芳しくなければ、原因はストレスかも知れません。
それは例えば、怒り、あるいは悲しみ、イライラ、などです。
怒りや,言いたいことを言えないつらさ、言いたいことを少しでもがまんしていることや自分を責める気持ちが、あなたの症状の原因かも知れません。
例えば、怒りあるいは悲しみがストレスとなり、そのストレスであらゆる症状が引き起こされます.
ここで、よくある誤解は、ストレスは、外から自分に降りかかるという考えです。
常識では、ストレスは自分が作るものではなく、仕事や上司、同僚、部下、親、兄弟、子供、配偶者その他、自分以外の人やものから来ます。でも、これは誤解です。本当は、ストレスとは、自分がもらった他人の言葉や出来事に対する『やだな』と思う自分の心の反応、すなわち自分の気持ちです。宿題が『やだな』と思う子供にとっては、宿題はストレスですし、いやな宿題を出す先生もストレスです。逆に、宿題は楽しい、と思う子供にとっては、宿題も宿題を出す先生もストレスではありません。仕事のノルマがいやだな、それを課す上司もいやだな、と思う人にとっては、ノルマも上司もストレスですが、ノルマは楽しい、それを課す上司も何も問題はないと思う人にとってはノルマも上司もストレスではありません。宿題あるいはノルマはストレスではなく、宿題やノルマに対する自分の気持ちがストレスになります。ストレスはあくまで、自分の心の中で生まれます。
さて、ストレスで咳や痰が出ているのなら、原因なくして、結果無し、ストレスがなくなれば、咳や痰は無くなるということになります。
再度、ストレスとは自分の気持ちです。やだな、と思う気持ちです。ストレスが無くなるということは、自分のやだなと思う気持ちが無くなるということです。ストレスすなわち、いやだなと思う気持ちが消えれば、これが咳や痰の原因なのですから、原因が消えれば、結果である咳や痰も消えます。
原因が変わると結果も変わるのです。
ではどうしたら、原因が変わるか。どうすればやだな、という気持ちが消えるか。消すのは難しいとしたら、減らせるか。
減れば、咳や痰も減りますから、減らせるだけでもいいかも知れません。
減らす方法をお話しする前に、『存在は意識を決定する』という法則についてお話しする必要があります。
私達は、悲しい時は泣く、楽しい時は笑います。常識です。逆もまた真なり、と申しまして、これらの逆、つまり泣くと悲しくなる、笑うと楽しくなることも真実であることが心理学の実験で証明されています。わざと被験者に、つまり検査される人に泣いてもらうのです。5回や10回泣いても悲しくなりません。しかし1分、2分、5分、10分と泣いていると悲しくなってきます。同様に、笑うと、5秒や10秒では楽しくなりませんが、5分、10分と笑っていると、楽しくなってきます。笑うという存在が、楽しいという意識を生み出しているのです。これが存在は意識を決定する、という法則の意味です。泣くという存在が、悲しいという意識を生み出しているのです。これを別の言葉で言うと、行動は、気持ちを支配する、といえます。泣くという行動で、悲しいという気持ちが生まれ、笑うという行動で、楽しいという気持ちが生まれるのです。気持ちを変えたかったら、行動を変えるといいのです。
この原理を使うと、あの人はいやだなと思う気持ちを無くす、あるいは、減らすことができます。怒りを消す、あるいは減らすことが出来ます。怒りが咳や痰の原因ならば、怒りが消えれば咳や痰も消えます。原因が減れば、結果も減ります。
では怒りの消し方です。
怒りはマイナスの気持ちです。怒っていないのは、プラスでもマイナスでもない、ゼロの気持ちです。では①怒っている、②怒ってない、に気持ちが変化したとして、さらに次の気持ちに心が変化するとしたら、それは何でしょう?
マイナスとゼロ以外の気持ちは何でしょう?
マイナスとゼロ以外の気持ちはプラスの気持ちです。
プラスの気持ちとは何でしょう。
プラスとはマイナスの反対、怒りの反対です。
怒りの反対とは何でしょう?
怒りの反対は感謝です。
怒りは不安定な気持ちです。怒っているとき、私たちは、心の平安を失います。怒っているときは、心は安定から、ほど遠い状態にあります。
逆に感謝の気持ちは安定の極地です。
人間の心が一番安定するのは感謝しているときです。心が最も平安になるのは、有り難いという思いで心が満たされた時です。
怒りの代わりに、有り難いという方向に少しでも心が近づいていけば、怒りは減るのです。
あなたの心は、今、マイナス無限大のところにあります。頭にきているわけです。これで咳や痰が出ています。このマイナス無限大(無限大は∞と書きます)のところから、少しでもゼロの方向に向かって、仮にマイナスを左に、プラスを右に直線を引くとすると、左から右に進む方法が、咳や痰を消す、あるいは減らす方法です。少しでも右に近づくと、その分、咳や痰も減るのです。
 怒り     怒りも感謝も無い      感謝
 -∞(無限大)    ゼロ   +∞(無限大)
 -----------+----------
ではどうやって左から右へ、マイナスからゼロに近づくか、どうやって怒りを減らすのか?
答は先の「存在は意識を決定する、行動は気持ちを決定する」という法則を使った行動です。
私達は、ふだん悲しいときは、泣き、楽しい時は笑います。同様に、有り難いと思うと、ありがとうございます、というセリフが出てきます。
逆もまた真なり、つまり反対もまた成り立つのでした。すなわち泣けば悲しくなる、笑うと楽しくなるという原理を使うのです。つまり、常識では考えられませんが、ありがとうといえば、ありがとう、と『言う』という行為(行動、存在、在りよう)によって、有り難いという『気持ち』が生まれてくるのです。
しかし今は気持ちはどうでもいいです。お願いしたいのは、ありがとうと言うことです。
ありがとうと言うと気持ちが少しプラスの方向に動くのです。言えば、怒りがその分、減るのです。マイナスがその分、減るのです。
ポイントは、このありがとうというときに
1 相手に面と向かって言わなくてよい、ということです
2 心の中でよい (出来れば声に出して言う)
   声に出す方がより効果的です。声に出すなら、家族の人に聞かれたとき、誤解のないよう、気が振れたせいではない、病院に連れて行くには及ばない、とあらかじめお話し下さい。
3 口先だけでよい
4 本気で言わなくてよい
5 心にもないことでよい
6 心をこめて言わなくてよい
頭にきているのですから、心をこめて言えるはずがありません。
7 心と裏腹でよい
8 ウソ八百でよい
9 方便でよい。(嘘も方便です。)
10 私はウソつき、と思ってよい。
11 こんなのインチキと思ってよい。
12 自己欺瞞(じこぎまん)だ、自分を欺しているだけだ、と思ってよい。
13 ありがたいと思わなくてよい
14 形だけでよい、形式だけでよい
15 しょうがない、症状を消すためにあなたが言えというから言うか、でいいのです。
   人格者になってほしいわけではありません。
16 余計ストレスが溜まる、と思ってよい。
17 現実と違う、と思ってよい。(実際、現実とは違います。)
18 空理空論だ、念仏だ、観念論だ、と思ってよい。
19 感謝する理由が無くてよい。
  理由がないから、あるいは見つからないから、言ってほしいのです。すぐに理由が見つかるなら言う必要はないくらいです。
20 無意味に言うのでよい。
21 やけくそで言うのでよい。
22  怒ったままでよい。
23  怒りが消えなくてよい。消せなくてよい。消さなくてよい。
24 感謝の気持ちを持たなくてよい。
そして、特に強調したいのですが、
25 自分の気持ちを変えようと思わないでよい、のです。
言った瞬間、どこが!!!という声が聞こえてきます。それでいいのです。
ありがとうと言った瞬間、全然!!! という声が聞こえてきます。それでいいのです。
ありがとうと言った瞬間、この嘘つき!! という声が、こんなの自己欺瞞だ!! という声が、こんなの意味ない!!という声が、聞こえてきます。それでいいのです。そんなことをする方がよけいストレスだ、と今は思うかも知れません。でも大丈夫です。ストレスにはなりません。
最終的に声の大きい方が勝つ、気が長い方が勝つのです。
そういう『全然! 』とか、『嘘つき!』 という声を抑えようとしても抑えることはできません。抑える必要もありません。が、そういう声を無視することはできます。全然!とか、どこが!という声は、無視するうちに消えていきます。
ここで招きやすい誤解は、お前は感謝の気持ちを持てと言っているのだな、と。
違います。究極の目標ではありますが、今はそれは、忘れて下さい。気持ちはどうにもなりませんから、今は感謝の気持ちを持たなきゃとは思わないでほしいのです。そもそも、そんな気持ちを持てるくらいなら、初めから症状は出ません。感謝の気持ちなんぞ、持たなくてよい、そもそも持てるわけがない、持つ代わりに、口先だけで言ってくれ、というお願いです。
気持ちはどうでもいいのです。お願いしたいのは、行動です。「言う」という行為です。
ありがとう、と口で言う、心の中で言う。ただし、相手には聞こえなくてよい。そう思わなくてもよい。
 ある小さな会社の社長さんは、咳が病院に来た理由でした。咳が出た原因は怒りでした。何に腹を立てたかというと、借金を返さない人がいたからです。お金を貸した相手が、不況で倒産。借金を返せなくなりました。不況で倒産はよくある話ですから、しようがないといえばしようがない。しかしその社長さんが怒るのも無理はないと思えたわけは、貸した相手が復活してきたからです。復活したなら返せるはず。しかし、返すそぶりを見せないからです。別の仕事で羽振りがよくなり、返せるはずなのに、道であっても知らん顔。全く返そうとしない。毎月五万、十万が無理なら一万でも二万でも返すのが誠意というもの。でもその人は知らん顔。それで怒り爆発。咳が出始めた、というわけです。
そこで、お願いしました。咳を消すために、借金を踏み倒して平気な顔をしているろくでもない相手に、ありがとう、と言ってくれ、と。
その社長は、
『先生、それは逆でしょう。借金を返してもらえないにもかかわらず、相手を訴えたりせずに、そのままにしている私に向かって、相手が感謝するのがほんとじゃないですか。何で私が、感謝しなきゃいけないんですか。私が向こうに感謝するのでは話があべこべです。』
と反論してもいい場面です。それにもかかわらず、その社長さんは
『分かりました。やってみます。』
と言ったのです。
説明が短時間でしたから、この社長さんが納得したのかどうかは分かりませんでしたが、この提案を、いともあっさりと受け入れたのです。こちらは内心びっくりでしたが、やっぱり社長ともなると違うんだなと感心しつつ、やってもらうことにしました。
効果は果たして出ました。咳はほとんどと言っていいくらい、無くなったのです。
同様に、孫に対して怒り爆発、以来、二年間も続いた頭痛が、この『ありがとう』を、およそ二ヶ月の間、言い続けることで消えたおばあさんがいます。
学生だった独身の孫娘が在学中に妊娠。結婚前の妊娠なんて、今では珍しくも何ともないことですが、大正生まれのおばあさんには学校を卒業する前の娘が、しかも結婚もしないで妊娠なんて許せません。孫には夢がありました。卒業後は、保母さんになる夢が。しかし妊娠を契機に孫はその夢は断念。保母さんになる代わりに、お母さんになったのでした。このおばあさんにとっては初のひ孫となり、とてもうれしいはずですが、孫が保母になるという夢をいつしか自分の夢として生きてきた彼女にとっては、孫が自分の夢を諦めたことは、おばあさんにとっては、自分の夢を壊されたのに等しかったのです。”自分の”夢を壊されたことでこのおばあさんは、孫に腹を立てたのでした。初のひ孫を抱かせてくれたとはいえ、怒りは怒りで持ち続けました。その結果の頭痛というわけです。このおばあさんが、肺癌で入院をしたときに、頭痛の検査をしてもどこも悪くなく、怒りが頭痛の原因と思い当たり、ありがとうの話をして実行してもらったら、二年間続いた頭痛が二ヶ月で消えた、というわけです。
夫と姑に対する怒りで七年間も続いた胸の痛みが一ヶ月で、ほとんど消えたご婦人がいます。
ここで、確認です。怒ってはいけないとは言っていません。怒っていいのです。相手に面と向かって言ってもいいくらいです。でもそれができないから、病気になっているわけで、言えていればそもそも症状は出なかったかも知れません。ですから、怒りを直接、相手にはぶつけられないかも知れません。ならばノートに書けという人がいます。書いているうちにすっきりするぞ、と。ノートの上には、いくら吐き出しても、相手には伝わらず、伝わった結果、反動が返ってきて、余計苦しむ、という望ましくない事態も避けられます。だからノートの上なら安心して吐き出せるかも知れません。そもそも怒っているなら、そう認めざるを得ません。いいの、悪いのといっても始まりません。すでに怒っていることは起こっているわけですから(寒い?) 誰が何と言おうと、その現実は変えられません。ですから平たく言えば、怒ってもいいのです。怒りながら、ありがとうと言ってくれ、と。気持ちを変えることはできませんが、行動は変えられます。行動が変われば、未来が変わります。(本当は未来だけでなく、解釈を変えることで過去も変えられるといえるのですが、話がそれるのでやめます。) だから怒っていい、というのは方便で、理解して頂くために言っているだけで、本当は怒っていいもへちまもありません。怒りを吐き出していい、といえばより正確かもしれません。吐き出してよいどころか、吐き出した方がよさそうです。そしてここが大事なのですが、怒りを吐き出しながら、同時に、ありがとう、と『口先だけ』言ってほしい、と。
 それでも口先だけであろうが、言えません、というのなら、許すことはできますでしょうか。小林正観は、感謝できないなら赦すことは出来ますか、と。
怒りがマイナス、感謝をプラスとすると、感謝するのは自分の気持ちをプラスに持っていくこと、しかしマイナスからいきなりプラスに行くのが無理なら、まず許すこと、すなわちマイナスからゼロに持っていくことは出来るか、と。マイナスの気持ちをゼロにすることは、結果として、気持ちがプラスの方向に動いたことになります。だから症状は消えないまでも軽くなるかもしれません。
 これを再度図示すると以下のようになります。左がマイナス、真ん中かゼロ、右がプラスです。許した状態は真ん中の怒りも感謝もない状態。まずはそこを目指すべく、ありがとうと何度も言う。すると怒りは消えないまでも段々と減っていく。つまりマイナスが減っていく。ゼロになっても、すなわち怒りが無くなっても止めずに続けると、気持ちが感謝の方向へ向いていく。
 怒り     怒りも感謝も無い      感謝
 -∞(無限大)    ゼロ   +∞(無限大)
 -----------+----------
 こういう話で、どうしても誤解されるのは、私が感謝の気持ちを持てといっているのだな、と。繰り返し言います。違います。腹が立っている今、感謝の気持ちを持つのは、無理な相談です。ですから感謝の気持ちを持ってくれ、とは言いません。代わりに、感謝の気持ちを表現する言葉である「ありがとう」を言ってほしい、と。
 それでも、どうしても感謝の言葉が言えないなら、次善の策としては、赦す、があると申し上げました。
あるお医者さんは、目の前の患者さんの指が動かないのは、兄との不仲が原因と特定し、その患者さんに言いました。兄を心の中で呼び出し、兄を拝み、『私はあなたを赦しました。あなたも私を赦しました。』と念じなさい、と。実際に許さなくてもいいのです。ウソでも、そのようにつぶやくだけ、念じるだけでいいのです。念じた結果、患者さんの指は動くようになったそうです。
再度、許せなくてもいいのです。口先だけ、許します、でいいのです。
もし感謝の言葉を言えるなら、それを繰り返し、繰り返し。毎日百回、五百回、千回と繰り返し、言ってほしいのです。気持ちはどうでもいい。感謝の気持ちは持たなくていい。ただ、許します、と繰り返し、繰り返し。
でも、おそらく、口先だけの許します、よりも、口先だけの、ありがとうございます、の方が効くことでしょう。
ありがとうと、心を込めて言わなくてよい、口先だけでよい、形式だけでよい、心にもないことでよいのですが、その代わり、一つ御願いがあります。そのお願いとは、回数を重ねてほしいということです。5回や10回では、怒りは減りませんし、有り難いという気持ちも生まれません。50回、100回、五百回、千回、五千回、一万回言うつもりで、ひたすら言い続けてほしいのです。
すると、少しずつですが、先の図のマイナス無限大からゼロを通り越して、プラスに向かう線の、プラスの方向に心が動いていくのです。プラスの方に行けば行くほど、痛みや咳や痰は減るのです。
だまされたと思って、いや、だまされてないと思ってやってみて下さい。
もう一度繰り返します。
気持ちはどうでもいいです。お願いしたいのは、ありがとうと言うということです。
なぜ言うことが大事かといえば、言葉には心をコントロールする力があるからです。
言葉はとてもパワフルです。言刃(ことば)といわれるくらい人を傷つける力がある一方、人を心の底から励まし、大きな慰めとなる力も持っているのです。
ご健闘を祈ります。
食養家先生 初めから胎教によくないですね。

吉村 絶対によくないです。科学が間違っているのです。あるいは科学、医学に対する考え方が間違っています。
生きるものは生きる。死ぬものは死ぬ。
科学は万能ではない。
医学は万能ではない。
妊婦が死んだら医療ミスと思うのがおかしいのです。
出産は命がけのものなのです。
手を尽くしてもどうにもならないことはある。
生死は人間の思いを超えたところで決まります。
運命に身を委ね、運命と思って受け入れる、というところ以外に幸せはありません。
映画「男たちの大和」を見ました。久しぶりに感動しました。
当時、私は中学生でした。特攻隊に行くつもりでした。日本人が特攻隊などを作りあんなことをしたことは、愚かな指導者によって汚された部分もありますが、自分の肉親を思い、国を思い、世のため人のため自分の属する群れのために自分が死ぬと思う心があれば、そして私はそう思って生きていますが、それで気持ちがいいし、そのおかげで私は生き生きしているし、いつ死んでもいいと思えます。特攻隊に行った男たちの気持ちが分かります。あれは一番幸せだったと思います。気持ちがいいです。
きっとこれは児童憲章などに拍手喝采を送るエセ民主主義に染まった人権主義者には分からないと思います。
児童は文化的にして健康な人生を送る権利を有する。
一体誰がそれを保証するのか、そう言うあなたはそんな空文句を保証出来るのかと私は言いたい。
人間という動物が一人生まれたとき、生まれながらにして、健康で文化的な生活を送る権利などを与えられては、子供はダメになります。でも人はこれに飛びついた。それまで苦しかったから。
だからそれを言えば票が来るから言っているのではないかとすら思います。
でも人間は苦しいのが当然なんです。
私なんかものすごく苦しかった。だから今がある。
なるべく苦しくないように、などと思うのは馬鹿にしているのと同じです。
動物を見たらわかる。
みんな苦しい。
苦しいのが自然なんです。
だから私は耐えられた。
生まれながらにして健康で文化的な、、、
それを言うと票が来る。

食養家先生 そういう苦しみを乗り越えたので今は楽しく?

吉村 そうですね。ホントに楽しいです。
みんなびっくりするけれど、死ぬのは全然怖くありません。
こんな吐血というひどい病気に遭っても、病院に行かん、というと皆、びっくりします。
病院を信じないというのもあるけれど、いつ死んでも全然悔いがないのです。
こんな年でこんなに体の調子が悪いのに、仕事を辞めず、これだけしゃべり続けるなんて、危なくてしょうがありません。
普通は絶対しません。
でもそれをしているから私は生きているのです。生命力で生きています。
今の人は、生命力を考えない。
生命力という不思議な神が動物に与えたものを、みんな考えようとしない。
生きている細かいメカニズムばかり追求して、それが枝葉末節であることに気づかない。
生命力を高めれば、端っこのデータは皆、よくなるに決まっているのに、分からない。
データ追求は経済至上主義と一体となっています。

Yさん ものごとの本質を知れと。

吉村 そうです。そしてそれは人から学べるものではなく、自分で発見するものです。
言葉で分かることは表面だけです。体験で分からないといけない。

大國 自然に生きるの一環として、母乳を推進している小児科医がいます。
母乳を導入後、断乳と言うのでしょうか、母乳を止める日が来ます。
断乳はいつ頃がいいのでしょう?子供が飲みたいうちはいつまででもよいのですか?

吉村 そうです。

大國 三歳でも、四歳でも?

吉村 そのとおりです。私のところでもお母さんはいつまででも飲ませています。
私のところで出産すると、すぐ次を生みたくてしょうがなくなります。
そしてお乳を吸わせていても、次、産みたいという気持ちが強くあるせいか、性的欲求が高いようで、すぐセックスして次の子を妊娠します。
妊娠しても、そのまま最初の子供に飲ませ続けています。
本には、流産が起きるから、お乳を吸わせてはいけない、と書いてあります。
間違いです。
私のところは、皆、ちゅうちゅう飲ませていますが、流産は一例もありません。
本は実にあてになりません。本は信じないでほしいです。
と言いながら私も書いてますが、私の本は別です。(笑)

大國 では意図的な断乳は不要であると?

吉村 不要どころか有害です。
私は妊娠中、ずっと飲ませていて、ちゃんと産まれます。
すると左右、二つのお乳に二人がぶら下がって飲んでいます。
問題がないことは長年の経験で実証済みです。
もしデータがあって、それを元に妊娠したら母乳を飲ませてはいけないと言っているというなら、データも当てにならないことが分かります。
うちではそれで流産した例は一例もありません。

大國 若い看護師が、断乳後、栄養補給と称して粉ミルクを飲ませています。

吉村 それは子供の栄養のためというより、酪農会社の「栄養」のためです。それで収益が上がるなら、酪農会社にとっては、楽で便利で安全ということになります。
これは科学が好きな言葉です。
科学の取り扱いには慎重にならざるを得ない所以(ゆえん)です。
科学に頼ると、そういう不自然なことをするし、栄養が足りてないんじゃないかと、ビクビクしながら生きていくことになります。
事に当たりて死ぬるをいとわず。
という心境になると、逆に生命力が、かあっと高まり、病気なども無くなるのです。
あまり、かあっとなりすぎて、十二指腸潰瘍になってしまいましたが。(笑)

Iさん夫人 授乳中は、次の子を授かれないと本にありました。

吉村 その傾向はあります。そのように生物界がうまく調節しているのでしょう。
赤ちゃんがちゅうちゅう吸っていれば、プロラクチンが出て、卵巣機能が抑えられるのは当然です。それでも生き生きしている人は妊娠しちゃいます。だから今の科学によって皆さんは洗脳されています。
科学は新興宗教です。
科学が新興宗教である証明は、みんなが信じているということです。
極めつけは教祖も信じていることです。
これが今までの新興宗教とは違うところです。
普通の新興宗教の教祖は、信者をだましても、自分は信じていない。
皆を信じさせて、自分は信じない。
なのに科学教は親分も信じている。そこが今までとは違う新興宗教です。
現実を見ていると、科学は違う、と分かります。
特にお産のような生命力あふれる、人間の命が発動する一番すごいところを見ていれば、分析なんかしなくても、ぱっと見たら分かります。
そして安産のためには、徹底的に動いて、今時の添加物だらけの加工食品などを食べていてはダメです。そして科学や医者を盲信しない。
医者は、妊婦にそんなに運動させてよいのか、と言ってきます。
ならあなたは確かめたのか、と逆に聞きます。
私のところは、バンバン運動させたおかげで早産がなくなったのです。

大國 先生のような超人的な方でないと、先生のやり方は無理なのでないかと思えます。

吉村 そんなことはないです。段々と分かってきますよ。皆さん困っているのです。とても。

大國 先生のところの助産婦さんもずっと勤務されているようです。非番の日はないのでしょうか?

吉村 関係なくやっています。普通の生き物に休みがないのと同じです。児童憲章の思想に染まったということは、欺されているのと同じです。夢中になってやっていれば、夜昼無く働いても健康は維持されるし、楽しくてたまりません。時には遊びに行きたいなんて気持ちは全く生まれません。遊園地に行きたいなんて、普段が楽しめていない証拠です。

H先生 ユダヤ教で日曜は働いてはいけないと言いますが、毎日奴隷制度で働かせるためには、日曜は休ませる方が、馬の目の前に人参を置くのと同じで好都合だからではないかと思っています。

大國 普通の病院では、中々先生のやり方は真似しろと言われても難しそうです。

吉村 私のところは、社会保険請求は、普通の病院と似たようなことをやっていた頃に比べると、今は1/10です。
異常がない。
早産が無く、点滴が無く、帝王切開が無く、鉗子分娩も無い。
そういう余計なことをしないで済むようにしているのです。
逆に、普通の病院では、私の10倍の労力を費やして、そういうことをやっているから、お金もかかるし、医者が足りないということになる。
馬鹿にならない医療費を政府は何と考えているのか。
真剣に考えているのかと問いたい。
自民党と民主党のケンカは茶番です。どちらも何も違いはありません。
また国会に呼ばれていますので、思う存分話してきます。
皆、私の話を聞くと、生命力が高まります。
細かい命のメカニズムなど知らなくていいのです。
知ったから病気にならないという訳ではないし、病気が治る訳でもありません。
そんなことよりも生命力を上げることです。つまり運動と食事です。
私のとこの妊婦さんは、生命力が、があっと高まるから、つるつるに産まれるのです。

大國 だから産科医不足は問題ではないと。

吉村 助産婦だけで出産が無事に済むよう運動と食事を指導しておけば、
つまり産婆が支配していた時代に帰れば、
つまり科学の時代ではなく農耕の時代に帰れば、
この写真集で分かるように、皆、ものすごく幸せなお産ができます。
産科医がいなくても大丈夫になるのです。
そういう指導をしても亡くなる方は、運動不足、食事がよくない、あるいは遺伝子がよくないのです。
100%安全なお産はあり得ません。でも科学技術、現代の産科学無しで100%に近づけることはできます。

大國 「しあわせなお産が日本を変える」は中学生、高校生のうちから読んでもらいたいですね。

吉村 この間、名古屋大学と鹿児島大学の二人の女子医学生が私のところに来て、先生のお産は絶対正しい、私たちが先生の跡を継ぎたいと言ってくれました。彼女たちは、この本は妊婦に読ませる本ではない、全ての女性に読ませる本であると言ってくれました。
そもそも男と女に同じ教育というのが間違いです。
男は男、女は女という特殊性を生かさないと。
男女同権、男女共同参画といって喜ぶ女性はどうかしています。男と同じということは、男のレベルに格下げということです。
男なんて大事なことは何一つ出来ない。
子供一人産むことは出来ない。命を継げないのに威張っている。
今は男の文化で世の中を作っている。
だからそれに合わせようとして、女が女でなくなってきて、出産が楽しくない。
出産で異常が増えている。どんどん人間が減ってきている。
男の文化が人類を崩壊させているのです。
男女共学も間違いです。なぜ女が男の教育を受けなくてはならないのでしょう。
女を男のように教育するから、子供を産みたいとは思わないなどという女性が現れ、子供が生まれにくくなるし、お産が楽しくなくなる。
今の教育は間違っています。
学校に上がるまでの子供はくしゃくしゃでかわいい。それが学校にはいると、つまらなくなる。
農耕世界に戻ることが、人間性の復興にも、いいお産にも必要です。
そうなれば医学も要らなくなる。

大國 なぜ皆さんが先生を気違いというのか分かる気がしてきました。でも電球の発明に成功するまで5000回も1万回も失敗しながらも実験を繰り返したエジソンもきっとそのように言われていたのでしょう。
先生のところの妊婦さんは全国から?

吉村 岡崎市内が1/3 愛知県内が1/3、そして北海道や沖縄など県外が1/3です。市内から大勢来るだろうと思われがちですが、そうでもないです。それでいいんです。
大勢来ていたら死んじゃいます。

H先生 でもこの本で妊婦さんが増えそうです。

吉村 ホントは全部の医者にこうやってもらいたい。

Kさん 「幸せなお産が日本を変える」は、あらゆる人に読んでもらいたいと思います。ホント尊敬です。

吉村 別に尊敬されるような人間ではありません。陰○は持ってますが。(笑)。
今までは男の幸せだけを追求する時代でした。これからは違います。
この本で女性が台頭する時代が来ます。女性のホントの生命力が発揮される本です。
男と同様にすれば幸せになれるなんていうのは女を馬鹿にした男の発想です。
私は講演に呼んでもらいたいし、声を大にして、世の中の人に知ってもらいたい。
私は、新たな哲学を作りたいと思っています。

大國 高校からは入学試験があり、私立では小学校や幼稚園からありますが、教育の機会均等の原則がある中で、エリート教育がされています。どうせやるなら、エリートには、能力を与えられた者たちの使命として、利他の信条を持ってもらうためボランティア活動を強制すべきだと私は思いますが先生は?

吉村 そんなものは教えるべきではないでしょう。人生経験で分かってくるはずです。
大体、言葉や教育で教えることはできないはずです。

大國 しかし体験しないと分からない。

食養家先生 強制しても育つかどうか。それよりも先生がお書きのように、母親の愛は絶対愛です。その絶対愛が育たないような分娩をしているから母親にも子にも、この一番大事なところが育たない。

吉村 まさにそのとおりです。母子関係が、一番の基本なんです、愛情の。
他のたとえば級友との友情や兄弟愛など、他の人間との結びつきは母子関係が元なんです。
母子関係がちゃんとしていないと、他が皆、ダメになります。
今の世の中を見れば分かります。
あ母子関係をぶち壊してます。その結果の悲劇が跡を絶ちません。

大國 初めにボタンを掛け違えたところから来ていると。

Iさん 今日伺うまでは、全く考えたこともないようなお話でした。

H先生 今の医学部は、CTやMRIさん、昔はなかった抗ガン剤など、覚えることが山のようにあり、哲学を教える余裕がなく、専門学校化しています。だから医者も分からない。

Iさん夫人 母子関係がうまくなくて発生した事件というのも、お産が原因でしょうか。

吉村 それが根源でしょう。毎日毎日、お産を見ていると分かります。全然違う子供が生まれてきます。
顔が全然違います。
遠いところからも妊婦さんが来てくれて、退院して遠いところに帰っても、一ヶ月検診でまたここまで来てくれます。その時、必ず判で押したようにお母さんが言うことには、周りの子と全然違う、と。わざわざ遠くまで行って産んできたと珍しがって、親戚や周りの人が赤ちゃんを、子供を見に来る。そして見た途端に言われる。
全然違うね、この子は、と。

食養家先生 ぼうっとしている、とお書きになってますね。ここで産まれたお子さんは馬鹿になっちゃうんじゃないかと聞かれたと。

吉村 彼(Y先生賢史先生)が言ったんです。でも君の方がぼうっとしてる。(笑)

大國 それは最高の褒め言葉ですね。Y先生先生は、産まれた途端にぼうっとしていると見抜けた? あるいは写真を見ましたか。

吉村 写真を見ました。

吉村 私は母親教室でいつも見せるのです。生まれて一ヶ月くらい経って検診に来た子供の写真を2-3枚。みんな同じ顔をしているんです。

食養家先生 ぼうっとしているというよりも、穏やかな安心しきった幸せな顔なのでしょう。

吉村 そういうことにも通じるのでしょう。でも普通の人から見ると、Y先生先生の言うとおり、この子は頭悪いんじゃないかと思われるような顔をしてます。
でもお母さんが抱いて乳を飲み終わって安心している時は、ぼうっとしてます。
お母さんが急にいなくなったりお腹が減ったりすると、クリクリ騒ぎます。
それが動物です。
たとえば荒野のシマウマなど、ライオンの群れが一匹食べて満腹で、みんなひっくり返って寝ているときは、すぐ側まで行って草などを食べてます。へたするとライオンのしっぽにまで当たりそうなくらいまで近づいて、間違って噛みついたら飛び起きたりしないかしらと思うくらい近くまで。
そういう時は、ぼんやりして、のんびりして、何の心配も無く草をはむのに夢中になっています。そのうちに段々、腹が減ってきたライオンがうーん、と起き出してきたりしたら、急にめちゃくちゃ恐怖な顔をして、逃げていきます。ものすごい勢いで。
交感神経が優位になった瞬間です。
危ないなと感じたら交感神経が優位となり、ぱっと逃げる。
大丈夫だな、と思ったら副交感神経が優位となり、ぼうっとして、草が食べたくなったり、胃液が出たり、唾が出たり、セックスがしたくなったりするわけです。

食養家先生 スポーツもそうですね。武術でも、普段は完全にリラックスしている状態で、いざ必要なときだけ、瞬間的に力を発揮する。

吉村 それが動物なんです。それをいつもいつも緊張させているのが今の人間です。
本を読んで余計な疑似体験をして、ビクビクしている。
ビクビクしてはいけないときにビクビクして、胃潰瘍になったりする。ワシもそうかも知れんけど。

食養家先生 現代人は、寝ていてもリラックスできていないと言います。

吉村 大体夜になったら暗くなるべきなのに、夜になっても電気を点けています。
これで胃潰瘍になったり、糖尿病になったり、高血圧になったりしているという説すらあります。
当然だと思います。
皆、余計なことをやってます、一所懸命になって。
夜になっても勉強しないといけないなんておかしいです。
夜になったら、ひっくり返って寝ちゃって、セックスをしていればいいんです。(笑)。

大國 吉村医院で生まれた子供達を追跡した結果を知りたいものです。成長して他の子とどう違うのか。

吉村 川崎市のある看護大学の教授が少し前にここに来て、先生のところのデータを解析したいと。
よその先生は、吉村先生はあんなことを言ってるけれどウソかも知れない。データで示せと。
エビデンスベイストメディシンでやれと。
なのでカルテを全部お見せしました。そのうち発表されるでしょう。
普通の病院とはまるで違う成績のはずです。

Iさん 成績とは何の成績ですか?

吉村 生まれたときの赤ちゃんの元気度とか。トラブルが少ないとか。

Iさん夫人 母親教室で胎教はなさってますか?

吉村 胎教というのはあまり考えたことはないし、私がやっているのが全てだと思っているので、胎教という言葉は使っていません。お母さん達には、がんがん言ってやると、皆、安心しちゃうんです。うちに通ってもらうと完全に安心しちゃいます。

食養家先生 それが最高の胎教になりそうです。心が穏やかであれば、それが最高の胎教です。

吉村 その一つとして(大事なのは)死を覚悟するということです。
ホントに死を覚悟したら、お産で死を覚悟したら、どうなったっていいじゃないですか。
そしたらもう、のんびりしちゃいます。そうするとそういうホルモン状態や自律神経の状態が、すべてが正常に戻りますよ。

Iさん夫人 子供に話しかけるように、とかいうのはよく聞きます。

吉村 そんなことはやらんでいいです。やりたかったらやればいいけれど、何でそういうことを言うのかワシは分からんです。
意識的なことっていうのはダメです。

Iさん夫人 感覚として、自分が気持ちいいのが大事なのですね。

H先生 自然に語りかけるのではないですか、普通は。

大國 ジャーナリストか誰かに、子供の追跡調査をしてもらいたいです。

吉村 それやって、データで、なるほど、となったとしても情熱にはなりません。
ああ、そうか、と頭の中にはいって、それで終わりです。
それよりも自分の奥さんが、びっくりするような、ものすごい感動的なお産をしたら、すぐ分かります。すぐ行動に移ります。
この写真集を見て下さい。極めつけは、これです。
写真集だと大きいから雰囲気が伝わります。これを見たらみんな泣きます。
さっきの女子医学生が買うといって、これを持って行ってみんなに見せたら、みんな泣いたと。
特にこの写真がすごいと思います。生まれてすぐです。

Iさん夫人 赤ちゃんが泣いてませんね。

吉村 泣きません。皆、びっくりします。私のとこではお腹から出てきても、泣かない子は大勢います。
見学の医学生や助産婦が、生まれても全く泣かないので、びっくりします。
死んでるんじゃないかと、あわててこすろうとするから、いかん。ちゃんと生きとる。
見ただけで分かるし、生まれたときの状況をみれば、あとは、アプガースコアがどうとかの解析や、心臓が止まっているのではないか、などの心配は無用です。あり得ないです。

大國 では江戸時代は、泣かない子が多かった?

吉村 かも知れません。でも産婆がやってましたから、産婆がこすったりしていたかも知れません。でも記録がないので分かりません。

Iさん 写真では、生まれてすぐ目を開けてます。

吉村 そうです。きょろきょろしてます。
お母さんも、大脳新皮質は全然動いてない。喜んでいるだけ。
ホントに古い脳だけで生きている。
何も考えていない。ぼうっとしている。考える能力は無くなっている。

Iさん 赤ちゃんをかわいいって思う気持ちからおっぱいが出るようになる、と聞くと、おっぱいが出ない人もいるんだって、と平然としている人を見ると、それは違うんじゃないかと。

吉村 元々おっぱいが出ない人なんて、いません。もしいるとしたら、それは乳腺が生まれつきダメな人なのでしょうがそれは例外でしょう。
この写真はホントいい写真です。
よそでは、生まれてすぐの赤ん坊が、ぐうぐう寝ちゃうなんてことは中々ないと思います。
これは生まれて3秒後の顔です。このお母さんの感動の顔を見て下さい。
何もしなければ、余計なことを一切しなければ、お母さんはこういう顔になります。本能的な顔です。本能で喜んでいる顔です。
こんなのは、
大学病院では、
普通の病院では
見たことがありません。
皆、ものすごい苦痛の顔をしています。
大体、生まれてすぐ抱かせるなんてことはしていません。
疲労困憊。
お母さんは、ぶっ倒れてますから、赤ちゃんを抱かせようとすると、
私が医療費を払っているのに、何で私に労働させるのか、
というくらいのものです。
でも私のとこのように、
しっかり運動させ、
食べ過ぎない
という指導を守ってくれれば、自分から抱きたくなります。無意識に。
すると赤ちゃんが無茶苦茶かわいくなっちゃう。
命を捨ててもいい、というくらいかわいくなる。
でも今は、多くの病院では、どんなに自然分娩にしていると言っていても、
会陰切開したり、
ぎゅうぎゅう押したり、
お腹の上に乗ったりしています。
皆、ちょっとでも早くお腹から出すといいと思ってますが、それは間違いです。
私は何もしていません。
亡くなるときは亡くなる。覚悟しなさい、と言うと、みなちゃんと生まれてきます。
全く自然にしていると泣きません。一人、完全に泣かない赤ちゃんがいました。
その人が先日、二人目をお産みになって帰って行かれました。
そのお母さんを見ると、お母さん自身、何といいいますか、女神のような顔をしてました。すごいですよ。
お産のすごいところを、たくさん見てきたので、器械でひっぱったり、薬を出したりする、というのは、神のやっていることを人間が横取りしていると分かります。
こういうのを見たことのある医者はほとんどおらず、見に来た医者はびっくりしてます。
助産婦もびっくりする。
この間、見学に来た二人の若い助産婦が、お産を最後まで見て言いました。
何て、母親がうれしそうなんだろう、何で赤ちゃんが幸せそうなんだろう、と。
帰るとき、
「私、助産婦止め。
助産婦なんてやってないで、
早く結婚して、
早く子供を産みたい。」と。
自分でこの喜びを体験したい、と。

食養家先生 先生の講演を聴いた80くらいのおばあちゃんが、もう一度産みたいと言ったとか。

吉村 北海道で講演したときでした。討論のとき、突然、おばあちゃんが、立ち上がってワシは先生の話を聞いとったら、もう一人、子供が産みとうなった、と。
女性は子供を産むためにこの世に来た。
子供を産んだということは、誇るべきことです。
子供を産んだら、自分は子供を産んだ女であるぞ、とそういう雰囲気を持っているということではないですか。
そういう雰囲気を嫌って、まだ一人も子供を産んではいないというような格好をして、そんな態度を示して、ニコニコしているような女性はどうかしてます。
そうではなく、誇りに思わないと。
女の一番深いところです。
これに対して、男は一言も言えません。宗教的境地ですから。
結婚しない女性が増えてますが、これも女性が、自分が女だということを自覚してないからです。
そして結婚しても中々妊娠したがらない。
赤ちゃんを産んだらスタイルが悪くなる、などと、とんでもないことを言っています。
これは自分で、自分は女でないと言っているのと同じです。
こんなことを言うようでは、ホントの精神的な深い女性としての魅力がない。
子供みたいなものです。まだ女性ホルモンが行き渡っていない。
これは頭で考えてわかったことではない。
でも本当のお産を見るとこうなる。
私なんか、頭で分かったわけではない。ホントはあまり頭がよくない、というと謙遜しすぎだけれど、とりあえずそう言っときます。(笑)。

Iさん夫人 先生のDVDで、陣痛はサーフィンみたいで気持ちよかった、と言っているのを聞いて驚きです。

吉村 みんな言います。お産してから、ああ気持ちよかったって。
痛いことは痛い。しかしお産が終わると忘れちゃう。終わった途端、全部忘れちゃう。
産まれたときの喜びがそんなもの、すぐ忘れさせてくれます。
本にも書きましたが、自分の体が管になって、赤ちゃんが出てきた、神が出させたんだ、と産まれてすぐお母さんが言いました。
この本(「幸せなお産が日本を変える」)も医学生が50冊、持って帰りました。周りに読ませるんだ、と言って。
少しでも周りの病院が変わってくれるといいと思います。
医学生が本に書いてくれ、と言うので、
お産は日の出と同じ。
早くも遅くもできない。
と書きました。

大國 弛緩出血の原因は運動不足でしょうか? 

吉村 バンバン運動させた結果、ほとんど見なくなったので、そうかも知れません。何万人に一人はこれで亡くなることはあるかも知れません。
でも普通は、弛緩出血が起きたとしても、血圧が下がれば自然に止まる場合がほとんどです。

Kさん 高齢になると前置胎盤が増えますか?

吉村 それは知りません。

大國 名古屋と鹿児島の女子医学生が、将来教授になるといいですね。

吉村 教授になってもしょうがないと分かってるみたいで、ここに来ると言ってます。先生が死んだあと、ここでやると。

大國 二人一緒に?

吉村 いや、二人それぞれが独立して言っているのです。
私が死んでからでは遅い。
生きている間に来てもらわないと、私のやり方を伝授できない。
医者のライセンスを取ったらすぐ来いと。
大学に残る必要なんてありません。科学技術偏重の結果が、今の世の中です。

食養家先生 あらゆるものが限界に来ているようです。

吉村 自然なお産がいいというのは、頭で考えて分かったわけではなく、私の行動の結果です。
皆さんにも行動してもらいたい。
妊婦と一緒に、田畑に出て、汗を流してもらいたい。
安藤昌益のように。
安藤昌益、知ってますか?
無茶苦茶やってます。よく殺されなかったと思えるような人です。
殺されそうになったら、ぱっと隠れて、その後は行方知れず。本だけ残っています。

大國 そろそろお暇しないといけなくなりました。長時間、ありがとうございました。

吉村 大体は一人でお見えになる方ばかりで、これだけ大勢一度に見えたのは初めてです。ぜひ今度、講演に呼んで下さい。写真をスライドで大きくお見せするとリアルでよりお分かり頂けると思います。

一同 ありがとうございます。

吉村 自然なお産をすると、うちでお産をすると、ただ正しく産まれた、というだけしじゃなくて、生き方から何から全部変わっちゃいます。家族も変わっちゃいます。旦那が変わっちゃいます。
初め、旦那が来て、こわい顔をして、私をにらみつけたりしてます。それが妊娠末期になって来るとニコニコしてやってきます。
長野のあるところに森があって、そこに宿泊するところがあって、そこで泊まりがけの講演会に毎年ある人が呼んでくれるのですが、ここに秋ですが、毎年聴きに来てくれる人がいます。
今日は、複数で来て下さり、皆さん、感じて下さったようで、私も自信がつきました。もっともっと命を賭して生きていこうと思うし、主張していこうと思うようになって、皆さんに感謝の気持ちで一杯です。

一同 こちらこそありがとうございました。
大國 オダン先生は本を書かれていますね。

吉村 プライマルヘルスですね。私がオダン先生からもらい、大野先生に頼んで訳してもらいました。

Iさん 高齢者の出産はやはり厳しいですか?

吉村 年齢よりも、ちゃんと運動をするかどうかです。どんな年齢の方も診察していますが、その代わり、徹底的に運動をすると約束してもらっています。私はちゃんと運動しているかどうか、みたらすぐ分かります。内診すると、言ったとおりの運動をしているかどうか、ぱっと分かります。
実はちゃんと運動をしてこなかった人が定期診察に来て、
やってきたかね? と聞くと
やってきました、と。
診察したら(分かるので)
やってないじゃないか。(と言うと)
先生、どうしてわかるう?などと言ってます。

大國 もし言葉になるなら、どのように違うのでしょうか。

吉村 言葉になるのは少しで、簡単なことです。赤ちゃんの頭が骨盤の中に下りてきて、子宮口が少し軟らかくなって開いてくるのです。そして産道全体が軟らかくなります。ちゃんと運動をしているとこうなるのです。

大國 では8ヶ月、9ヶ月にならないと運動しているかどうかは分からないのですね?

吉村 いいえ、そんなことはありません。確かに四ヶ月くらいまでは分からない。でもそれ以後は、診察のたびに変わってきます。だだだ、と。
運動をしたほうが、産道が柔らかくなって、赤ちゃんも下がってきて、子宮口が開きやすくなります。
というよりも、体全体の生命力が高まるのでしょう。その結果の一部分の表れが、子宮口が軟らかくなったり、開いたり、ということなのでしょう。

Yさん 内診をする前に、妊婦さんをぱっと見た第一印象だけでも分かりますか?

吉村 顔で分かります。ちゃんと運動をしている人は、とても女性的です。これは、とことん女性が好きで、心から女性を大切にし、女性を思いやる経験をたくさん積んだ人でないと分からないと思います。

大國 6-7ヶ月で産道が軟らかくなると産まれてしまうという心配はありませんか?

吉村 それはないです。軟らかいことと、赤ちゃんが出るかどうかは別問題です。
お腹が張ってしょうがない、赤ちゃんが下がってきた気がします、出てきやしませんか? とよく聞かれます。
私は言います。
出ません。絶対出ません、と。
医者たちは、科学的な検証もせずに、なぜ安静を命ずるのか。
子宮口が軟らかくなって、赤ちゃんが下がってきたような妊婦さんを100人集めて、そのうち50人にはバンバン運動させて、残りの50人には安静にさせて調べるなら、科学的な検証といえます。でもこれをやったら人体実験です。だから出来ません。
私は二万例診たから、自ずから分かりました。
これは実験ではありません。私の診療上の体験です。
人間の頭で考える研究で分かることは知れています。だから研究では、意味のあることは、まず出来ないと思っていいでしょう。結局大事なことは分からない。
だから、みな、根拠のないことを勝手に言っているのです。
最近、分かってきたことは、妊娠をすると、どうも予定日というものが決まっているらしいということです、正常な生活をしていれば。
ただ我々には分かりません。
神さまは知っているようです。

大國 計算でいう予定日ではなく、赤ちゃんが本当にお腹から出てくる日が、予め決まっていると?

吉村 そうです。初めから決まっている。さもなければ、生まれる3週間も4週間も前に子宮口がこんなに (5cmくらい) 開いていながら、知らんぷりして労働していても、赤ちゃんが出てこないということの説明がつきません。
こんな例をいくつもみました。出やしません。

食養家先生 死ぬ日も決まっているというのも同じですね。

吉村 そうかも知れませんね。だから計算などをやって、たくさんデータを出して、何%どうなる、とか人間が大脳皮質の片隅を使って色々やることには意味がないとすら思っています。

食養家先生 昔の産婆さんは先生と同じようなことを分かっていたでしょうか?

吉村 おそらくそうでしょう。ただ言葉がありません。昔の女性はものを書いたり、論理的にしゃべったりすることは出来ませんから、残っていないのでしょう。でも直感的には分かっていたでしょうから、こわいことはなかったと思います。
また当時は死ぬときは死ぬで、ぐずぐず言う人はいませんでした。
私どもが医者になった当初、時々産婆さんに呼ばれて行ったものです。
到着すると赤ちゃんはすでに死んでいます。
私が鉗子で赤ちゃんをお腹から出します。死んでいます。
すると産婆さんが急に産婦の背中をパンと叩いて言うのです。
アンタよかったね! と。
赤ん坊が死んでるのに。
アンタよかったね、赤ちゃんが死んでくれて、アンタが生きとって、と。
すると産婦が、
ありがとうございました、と頭を下げます。
これでいいのです。
これでいいのに、いけないとした結果、医者が産婆から、お産を取りあげたのです。
なぜ取り上げたかというと、昔は性病が多かったのです。
それを治す方法がないもので、意味のない洗浄をやって商売にしていました。
そのうちに、抗生物質が出てきて治るようになり、仕事が無くなった。
それまでは、産婦人科といって、名前に「産」がついているけれども、お産のことをわかっているわけではなかった。
もっぱら性病のような病気ばかり診ていたのが、抗生物質が出てきてこれが無くなり、洗浄も必要が無くなり、やることが無くなった。
で困って周りを見回したら、産婆がお産をやっている。ならばあれを取ってしまえ、と。
お産のことは何も知らないのに、取っちゃった。
これが今の産科の起源です。
でもそもそも男にお産が分かるはずがない。
私みたいに、気違いみたいにやらないと、分からない。
めちゃくちゃに、死ぬくらいに一所懸命やって、自ずと分かっただけで、本を読んで分かったわけではない。
産科学の教科書など読んでいません。
読んでも役には立たないということが分かるだけでした。

食養家先生 最近は法律が変わり、助産院が廃業しないといけないところが出てきたそうです。

吉村 これは医者がお産を全部医者のところでやらせようという作戦です。このとき、私は国会に呼ばれ、間違いだ、と言ってきました。

大國 先生の努力も空しく法律が変わることに決まったのですね。

吉村 呼ばれたのは決まる寸前の話です。私の話に国会議員達は驚いていました。そのうちの一人の国会議員が、この「幸せなお産が日本を変える」を熟読して、最初から最後までいたるところに線が引いてあるとある人が教えてくれました。

Iさん 実際のお産の時は、先生は、ただそこにいるだけと聞きました。

吉村 妊娠中に、そういう生活をして、そういう心でいれば、皆つるつるに出るのです。
全然こわくない。
でも妊婦さんはいくら説明しても、妊婦さんの立場に立てば、陣痛が始まればめちゃくちゃ痛いし不安が募ります。そういう時に私がいれば、心が安まるのです。
医者がいてくれれば、何とかなるだろうとホッとする。だから行きます。
何かやる必要があるわけではありません。座っているだけでいい。
仏像が座っているようなもので、皆が安心するというだけの話です。

Iさん夫人 最近見た映画で、先生も出ておいででしたが、ロシアの妊婦さんの話がありました。お腹が大きすぎて、結局帝王切開になってました。

吉村 ゴロゴロしているからです。ゴロゴロ、パクパク、ビクビクでそうなっただけです。本来送るべき生活を送っていれば、大きくなり過ぎて出てこないなんてことはありません。
私は、陣痛が始まって10日間みることがあります。10日間、ずうっと見てます。それで心音なんか悪くなりません。
普通なら、三日も見ません。
産科の本には、全開になってから1日、破水したら1時間以内に産ませる、などといかも権威ありげに書いてあります。
でも根拠はないのです。
専門家と称する人が、それがいいと思って書いているだけで、実験して確かめて書いているわけではありません。経験ではないし、科学ですらありません。それでも医者だから、専門家だから、と世間は信じてしまう。
これが学問だと世間は誤解する。
こんな専門家の独善を許し、私が経験から学んだことを無視するような学問なら、学問などない方がマシと言いたいくらいです。

Iさん 自宅で出産するのはどう思われますか?

吉村 全く構わないです。そうしたければそうするといいです。

Y先生 吉村先生のところで勉強させてもらっているとき、遠方から頑張って通ってこられた妊婦さんが、吉村先生に、「先生のところに来てから陣痛が来ればいいですけれど、遠いので、途中で産まれてしまったら、どうしたらいいですか?」 と聞いたとき、吉村先生は、「途中で産まれるなんて、そんないいことはないじゃないか」と。

Iさん 池川明先生も、全く同じことを言われています。自宅でもタクシーの中でもどこでも構わない。その方が安産だよと。

吉村先生 安産だとそうなるのです。

Kさん 私も「幸せなお産が日本を変える」を読むまでは、お産に遭遇したら、自分はこわくて何もできない、と思っていましたが、これを読んでからは、恐怖心もなくなりました。これを妊婦さんも絶対読んだ方がいいし、妊婦さんも精神的に安心する、こわくなくなる、と思います。

吉村 医者は必要以上に、恐怖心を持たせています。それだけでお産の進行の大変な妨げとなる。
お産がうまくいくためには、妊婦さんが副交感神経優位の状態で、気持ちがリラックスしていることが極めて大事です。
原始時代、洞窟の中で出産しようというとき、外敵が来るなどというときに産まれては、赤ん坊連れで戦ったり逃げたりしないといけなくなり、それでは困るわけです。だから不安や緊張があったら産まれないというのは、種の保存にかなっています。
このお産の家を作ったのもそれが理由です。
自然の素材で昔から馴染みの棟梁が2年もかけて作った昔ながらの日本の家です。この家にはいると妊婦さんはなぜかリラックスすると。
この建物にはいってすぐに陣痛が始まったという妊婦さんもいました。
それを医者が心配させて、妊婦が不安になると、お産が異常になってしまいます。
医者はよけいな心配をさせないことです。

Kさん 私はこの本を読んだだけで、私も立ち会ってあげれる、と思いました。知識はないのに。

吉村 女性は皆、産婆になる素質を持っています。これを読んで皆さん、産婆になったつもりで、自分の娘や友だちの出産に立ち会ってフォローしてあげたらいいと思います。

Kさん 私も出来ると思います。

吉村 そうでしょう? それはうれしいですね。

大國 出産時、臍帯はすぐには切ってはおられないですか? 抱っこさせてあげるとき、臍の緒をつけたままですか?

吉村 そうです。自然な産道の方向どおりに取り上げると、赤ちゃんはお母さんの胸の方向に出てくるので、そのまま抱かせてあげます。

大國 1分でも2分でも3分でも?

吉村 もっともっと長く、ずっと抱いてもらいます。そもそも切らなくてもいいのです。臍の緒は自然に腐って落ちるのです。動物は、そうです。

大國 わざわざ切らないでよい?

吉村 そうです。動物は切りません。はさみで切っている動物を見たら驚くでしょう。

大國 切らないでも、呼吸は普通に出来ていると?

吉村 そうです。お腹から出たら、臍の緒をつけたまま呼吸はしてます。

大國 昔、産科の研修でお産を見せてもらったとき、クランプして(臍帯を縛って)から、ハサミで切っていたような気がします。でも実際は、クランプしないでも切っても出血は自然に止まって問題はない?

吉村 ある程度時間が経っていれば、です。

大國 すぐ切ろうとするからクランプをかけていると?

吉村 そうです。でも貧血になっても、知れています。私は貧血の薬は出しません。貧血になるのはその方がいいからです。その証拠に妊婦は全員といっていいいくらい貧血になります。私は値がうんと低い人でも貧血の薬は出しません。それで何の問題も起きていません。貧血になる方がいいから貧血になるのです。神が貧血にしているのです。それに人間が手を加えることはないのです。

大國 自然追求も徹底されてますね。

吉村 人は私を気違い医者といいます。でも私の言うことが間違っていて、たとえばどんどん早産していたり、とんでもないことになっていたら、とっくに医者としての生命は終わっています。
仕事が無くなります。
でも仕事に命をかけていますから、妊婦さんが全国から来ます。
仕事が面白くて仕方ありません。
もういつ死んでもいいくらいです。宮本武蔵の心境です。
事に当たりて死ぬるをいとわず、です。
気持ちがよくてしょうがない。
江戸時代の侍たちも、きっと同じ思いだったと思います。いつ、パタっと逝っても何も悔いるところがありません。

食養家先生 そういう方は案外なかなか死なないものです。

吉村 なかなか死なない。実は私も今度(の吐血)で死ねるなと思ったんですが、何もしないのに、医者にも行かないのに生きちゃいました。驚いたことに。
ちゃんと夜昼無しに仕事してるのに。
足腰立たなくなったので初めちょっと2-3日休んだだけです。
過去の大出血時も1日休んだだけでした。今回も薬も飲まずによくなりました。

大國 出血で、立てないくらいの貧血になっても、鉄剤の内服もなさらずに?

吉村 食事にはいっている鉄だけです。そういう時は鉄の吸収もよくなるのです。だからすぐ治ります。お産で出血しても同じです。
2000ml出血したような妊婦さんにも薬は出しません。1日2日、倒れてますが、そのうち起きてきてニコニコしてトイレにも自分で行ったりします。
出血でも何でも、私は自分がもし死んだら、神が自分を死に導いたんだ、と思います。
人が亡くなるのは当然だから、私はそれに従って生きるのが一番気持ちがいいです。

大國 先生のところには、見学の医者はよく来られますか?

吉村 この頃、急速に医者や科学者の方が来られるようになりました。今までは、気違い医者のところになんか絶対行かん、だったのが。
特に「幸せなお産が日本を変える」を出してからはそうです。

Y先生 ただ吉村先生のやっていることを、全くそのとおりにやろうとしたら、吉村先生の境地というか、宮本武蔵の境地にならないと、、、。やり方を仮に知っていても、、、。

吉村 今は、やり方さえ知れば何でも出来ると思っている人がいる。それはウソです。やり方がよければよい、というのは科学の考えです。でもそれは間違いです。ハウツーさえよければ、うまくいくというのは科学の考えですが、そんなものではありません。

H先生 ケガの治療は、たとえば、すりむいたりすると消毒して、抗生物質の軟膏を塗り、ガーゼを当て、と長年やってきました。でもそれは今は間違いだと分かっています。今は、とりあえず汚染はあり得るので、水洗いをして、ワセリンを塗って、サランラップを当てるのが一番早く治る、消毒はいけないと言われています。

食養家先生 スポーツ選手は皆、そうやってますね。

H先生 はい。火傷も同じです。
多くの医者はそんなやり方はダメだ、消毒しないとダメだと思っています。でも消毒をすると、白血球やこれを含むリンパ液など自分の治癒力を弱めるのです。

食養家先生 消毒液は細胞を破壊しますね。

H先生 消毒は、細菌を殺す代わりに、有用な生体側の細胞も傷つけます。消毒せず、このラップ療法なら浅い傷なら二日できれいになります。皮膚の機能は排毒だから、皮膚を酸素にさらす必要もない。1日1回洗ってラップを替えればいいのです。
これを知る前は、ばい菌があるし消毒しないと化膿するし、と思っていたのが、形成外科学会ではこれが常識となっています。
消毒をすると、かえって傷の治りを遅くするし汚くなるよと。

吉村 つまり神のやっていることは神に任せよと。産婦人科で私がやってきたことと一致します。産婦人科のぶ厚い本に書いてあることは、正しくないことが多々あると分かりましたから、他の分野でも同様であろうと思えます。

大國 癌についてひとことお願いします。

吉村 癌はつい最近まではこれほど、ありませんでした。ゴロゴロパクパクビクビクという生活、そして現代のものが原因となっているのでしょう。予防が大事で、なったら厳しいでしょう。今の現代医療は抗ガン剤も放射線も負担が大きすぎます。

Iさん ご自身の死はこわくないとのことですが、ご家族については。

吉村 それはこわいです。いやです。いやなものはいやなんで、そういう自分の現実を無理矢理直そうとは思いません。子供の苦痛は、たまらないです。
動物は自分の子供を絶対に保護します。そのために自分の命を捨てることすらあります。これは本能ですからしょうがない。自分の死も本能ですが、これは論理的に克服できました。子供のこともそれができるかどうかは分かりませんが、子供については私はまだ成し遂げてはいません。

Kさん 生きるということは、自分が生きるだけではなく、人のため、家族のために生きるというところまで含みますね。

吉村 それはそうです。今の人間は自分のことしか考えていない。
群れをなして生きる動物は、必ず他の成員のことを考えなければ、その群れは、群れごと滅びるでしょう。
人間は群れを成して生きています。にも関わらず、科学を身につけてから、人は、他人のことを考えなくなりました。
科学が進んでからどれだけ人間が悪くなったことか。
戦争がどれだけ悲惨なものになったか。
どれだけ人間が残酷になったか。
科学が捉える人間は、単なる動物です。
近代科学の基礎を築いたデカルトは、我思う、ゆえに我あり、と。
哲学の基礎として、本当に存在が信じられるのは自分だけだ、という哲学から出発した科学が、自分しか考えない人間を育てたのは必然です。
科学的に考える、ということは、自分のことのみを考えるということになりがちです。
科学を学べば学ぶほど、人間は残酷になります。
科学を学べば学ぶほど、命をメカニズムとして捉えるようになります。
人間を機械とみるようになります。
残酷になりますよ。
命に対する敬虔な気持ちが無くなり、自分の生さえあればよいということになり、他を殺してもあまり苦しまないような人間がどんどん出来てきます。
科学が群れとして生きる人類の一番大事なことを壊しています。
科学を学べば、利他が無くなります。恐るべきことです。

食養家先生 先生は感性がかなり高いとお見受けしました。お書きになってましたが、こうだちょうに行かれたとき、過去に自分がその土地で暮らしていたことなど、色んなことを感じたと?

吉村 ものすごく感じました。なぜか分かりませんが。
明確に科学的に説明が出来るわけではなく、感覚でしかありません。

大國 矛盾しているというと矛盾を許さない科学教の信者と言われそうですが、先生は一方で輪廻転生を信じないと言われ、一方で、過去に、つまり前世で自分はここに住んでいたことをはっきりと自覚したと。

吉村 信じるといっても色々レベルがありますね?
医者のあなたには、こういう言い方はどうでしょう。
私もかつては科学教の信者でしたから、そういう教育を受けてきて、輪廻転生だの、あの世だのは信じないという観念があるわけですが、それは私の大脳新皮質が信じていないのです。しかし情動を司る大脳辺縁系では、はっきりと過去の自分を自覚したと。

大國 なるほど。

吉村 私は、二つの精神的な能力はあると思っています。勉強は大嫌いでしたが、少しはこの二つを勉強したというわけです。

食養家先生 二つというと?

吉村 理性で分かる世界、もう一つは理性ではなく感覚で知る世界です。

食養家先生 本当のことを知るには両者が必要ですね。知識、経験、そして直感力と感性ですね。

吉村先生 しかし今は科学的なものの見方しかしないし、またそうでないと生けていけない時代になってしまいました。

食養家先生先生 けれど科学者もある程度の域を超えると直感力がかなり働いてくるようです。

吉村先生 キュリー夫人など非常に優秀な科学者はそうなって、みんな神を信じるようになるみたいですね。シュバイツァーもそうでした。

食養家先生先生 ただあえて言わないようですね。

吉村先生 言うと立場上、まずいのでしょう。

Iさんさん 先生のご本の中で、科学はものごとの分からない部分の分かりやすいところを証明しようとしているというのが印象的でした。

吉村先生 こう言っては科学者の人には失礼かも知れませんが、科学はなるべく分かるところだけ選んで、証明しようとしています。するとこれに夢中になります。しかし本当は、表面的なことのその奥に、理性では絶対に分からないところがある。感性でしか分からないところがある。これを無視している。あるいは無視せざるを得ない。
簡単なこと、分かることだけを、追求している。
すると色々と分かってくる。実はどうでもいいことが。
けれどいかにも仕事をしているような気がしてくる。
これだけ分かってすごい、人間は大したものだと思いながらやっている。

食養家先生 人間に関しては、分かっていないことが大部分ではないでしょうか。

吉村 命、生命の本質は、科学では分からないと私は思っています。分析では分かりません。
科学だけで生きた私の父親は実に気の毒です。父親は、日本で大検(大学検定試験)に受かった二人目で、一高から東大に行き外科医になりました。故人をむち打つのは心苦しいが、オヤジは死ぬ一週間前に、死ぬのはいやだ、と泣きながら言っていました。科学だけで生きるからそうなるのです。
科学だけで生きていた彼は私に、自分同様、外科になれと言っていました。
当時は外科が一番脚光を浴びてました。
よく腹膜炎があったようで、ものすごく痛がって、死んだ人も珍しくなかったようです。その時に西洋流に、手術という方法で腹を切開し、膿が出たら腹膜炎でも、すぱっとよくなる。これで皆がびっくりし、西洋医学を皆が信仰するようになったのだと思います。
だから父親もそれを信仰しました。
で彼はメスが好きで、めちゃくちゃ切ってました。で私にも外科医になれと。
私はどうせ医者になるなら精神科医になろうと思ってました。なぜなら精神的な文化が好きだったからです。でもならんでよかったです。
今の精神科なんて、薬を出すだけです。哲学が感じられません。
もし私が精神科の医者になっていたら今頃は私が精神科の患者になっていたと思います。(笑)。

食養家先生 吉村先生が精神科の医者になったら、また全然やり方が違うのではないかと思います。

吉村 実はそれを言おうと思ったのですが、そんなことを言うと、また傲慢に聞こえると思いと黙ってました。(笑)。

大國 では今までは科学の頭では、前世やあの世は信じなかったけれども、ご自身が体験なさったあとは見方が変わったと?

吉村 見方というよりも生き方というか、心の一番深いところが変わった感じです。
そういうものは元々あったのですね。それを科学的な考えで抑えていて見ようとしなかった。それが自然に浮かび上がってきたのだと思います。
科学に対する信用が揺らぐと、その間から、全く人間が生きていく上での精神上の、すごい何ともいえんものが出てきたんだと思います。

大國 では池川明先生が言っておいでの輪廻転生はあると今はお思いですね?

吉村 否定は出来ないと思います。

食養家先生 先生は妊婦さんに教えていることが三つあるとお書きです。
よく動く。
食事を自然なものにする。
そして心の面です。
心の面は、このお産の家にいれば、段々変わってくるのですか?

吉村 心の面というのは、普通の宗教家のような説明をして分かるものではないんですね。僧侶はそういうことをしています。教典を教えながら。

食養家先生 お坊さんでも牧師さんでも、本質は分かっていない方もおられような気がします。

吉村 そうです。そもそも本来分かってないことがあるということを悟ることが宗教です。
それを仏像や神の形でとらえ、大日如来だの神だのと名前を付け、分かったような気になるなんてことは自己否定です。
まあ私たち衆生に対する方便なのでしょうが。

食養家先生 アインシュタインも晩年は、自分は何も分かってないということが分かったと言ったとか。

吉村 そうでしょうね。この世のことは何も分からない、ということが神を見たということです。全て自分は支配されているということを知るということが宗教の奥義ではありませんか?
自分の理性的認識で分かる部分はあります。それが科学ですね。
でもほとんどは分からない部分で生きている。
心臓も自分で動かしているわけではない。
つまり私たちは生かされている。
意識的な部分でやっていることはあるけれど、そんなものは生きているうちでのほんの表面で、生の極一部です。それでもって全部を支配しようとしているのが今の科学です。
生命科学という言い方も矛盾に満ちています。だからいいというのもかも知れませんが。

Iさん 昔ながらの生活というのも、特に実践した訳ではありませんが、自分は好きです。でも昔は、たとえば寿命というものが、40や50と短かった。
還暦というと、相当おじいさんだった。
生存率は低かった。
一方、今の方が医学が発達したせいかどうか、長寿である。
だから簡単に昔に戻ればいいんだ、というと、昔のような短命の時代に戻ればいいのかという反論が出そうです。

吉村 長寿がいいとは限りません。
私は、長寿は苦しいから、今度の病気で逝くなら、ホントはその方が自分にとっては幸せなのかも知れないと思って、自分でバタバタしないのです。
いつ逝くかは神が決めることです。
そもそも長寿の人で幸せな人はあまり見ません。

食養家先生 日本では、100才以上の人は二万人以上だそうです。でも幸せそうな方はあまりいません。

吉村 点滴で生かされ、長生きすると、ものすごく苦しいと聞きました。

大國 胃瘻といって、嚥下機能つまり飲み込む力が弱って、口から食べられなくなった方が、お腹の皮膚から腹壁を貫通させて、胃袋まで管を突き通して、口や食道を介さず、胃袋に入れた管で栄養剤を流し込んで、生命を維持する方法があります。これをされたあるおばあちゃんが、こんなことされて、食事が口から食べられなくて悲しいと言ってました。

吉村 私は本人が望んでもいないのに、そこまでして生かすのも医者の頭には科学しかないからだと思います。

食養家先生 科学批判は、お産が変われば日本が変わる、の中でも展開されていますが、真に自然の分娩が広まれば、母親が愛情深くなり、それに応じた愛情深い子供が育ち、日本人が変わる結果、日本が変わると、この題名のとおりとおりだと思います。

吉村 絶対にそうです。一番初めの部分ですから。
妊娠が成立し、妊娠を経過して、分娩が始まって、赤ちゃんが出る。
それから赤ちゃんが自分で歩き出すまで。
この部分は今まで、医者も哲学者も皆、
医者の立場でのみ、
生物学の目でのみ、
見てきました。
今の医者は、生物学の目でのみ、お産を見ています。
でもそうではなく、生きるということも、死ぬということも、哲学的に考究されてきたという歴史があります。ですから、ホントは、生まれるということも、哲学的な考究、研究がされてもよかったのに、そうでなかったことは驚きです。
それはどうしてか、というと、女が出産を担当していた。
産婆が女だったからです。
これは別に女性を馬鹿にしている訳ではありません。むしろこれが本当の生き方だと思っています。
意識的に生きることが人が不幸になることの大元だと私は思っています。ですから、女性の方がそういう意味では、より生き物としては優れていると思っています。でも産婆は字にしたり本にしたり、ということは出来ませんでしたから、その人が死んだら、それで終わって、発展がなかったのでしょう。
でも、生きることと死ぬことはホントに研究されてきたのに対して、生まれるということは全く研究されず、闇の中にはいってました。それを医者が生物学的にだけ見てきたんですね。そこが今の産科医療の間違いの始まりだと思います。
お産を哲学的に見る人、人間の生き方として見る人は、一人もいません。いくら調べてもおりません。
妊娠、分娩、そして一人前になるまで。歩くまでの三年。
これは妊娠中の一年を含め、四年間ですが、三つ子の魂百まで、と昔の人はいいますが、これは最初の3年間が一番大事とみんなが段々と誰が言うともなく言ってきて、分かってきた。科学で分かった訳ではない。何億人による観察の結果分かったことです。
日本人はそういうことに長けていた。西洋の見方では分からない。
科学で見るから分からなくなります。 
そうではなく、この3年間に対する、哲学や、深い意味での考究が必要です。
それで分かることは、三歳になるまで徹底的に、自然にしないといけないということです。
私のとこの出産を見てもらえば、あるいはこの写真集の本を見てもらえれば分かります。
生まれた時のお母さんの顔が全然違います。
ものすごい喜びに満ちあふれた顔です。
これを見せたら、産科の女医が泣きます。助産婦が泣きます。
私のとこには、全国から助産婦が勉強に来ます。もう二日いただけで分かります。
今のお産がいかに間違っているか。
二日見学して、この写真を見せたら泣いちゃいます。今まで自分は何をしていたんだ、と。
子供と母親をいじめていただけだったと。
普通のお産の直後は、もうお産なんてつくづくいやだ、お産なんて二度とするものか、と皆決心するくらいひどい目に遭うのです。だから二人目を産まない。
ある程度、時間が経って、忘れた頃に、しょうがない、旦那が一人じゃ困る、というから、仕方なく無理に自分の理性で気持ちを抑えて、妊娠するのです。そういうときの妊娠はいやいやながらセックスするもので、やだな、出来ちゃうなんて、やだなと思いながら、いやいやです。

食養家先生 初めから胎教によくないですね。