とうとう日数が「666」となりました。

 

キリスト圏ではあまり良くない数字だったような?

 

 

 

 

昨日の件からまた家族のことを振り返っていました。

 

摂食障害の本を読んだから、というのもありますが。

 

 

以前にも記事で書いた

 

「父親が長年家族のためにがんばってきた」

 

という心情を聞いたことを思い出し

 

 

「ありがたい」

 

 

という感謝の気持ちより

 

 

「ずるい」

 

 

という感想を持ちました。

 

 

家族のためを思っていたなら、なんでわたしは摂食障害になった?

 

わが子が病気だと自覚していたなら、なんで治療を積極的に受けさせなかった?

 

今は年を取って丸くなっているけれど、昔は結構苛烈でわたしに否定的で悲観的なことしか言ってなかったですよ。

 

 

 

だから

 

「今さらそんなことを言われても、許せというのか。ずるい」

 

正直怒りが湧きます。

 

 

いっそ親を見放せればいいでしょうけれど

 

まだそこまで覚悟がありません。

 

不謹慎でも

 

「葬式のときにわたしは泣けるのか?」

 

そんな疑問がいつも過ります。

 

 

 

父のことを書きましたが、母も大概でした。

 

この鬱積がいつか浄化されるのか…。

 

 

 

 

 

 

 

今日も読んでいただきありがとうございます。