腹が立ったり、モヤモヤすると誰かに愚痴を言いたくなります。
現在進行形でもう、言いたいこといっぱいです。
でも「人に好かれる人は愚痴を言わない」「愚痴を言われて迷惑」
などの話を聞くと
「愚痴って言わないほうがいいのかなぁ…」
と悩みだしました。(こちらではよく愚痴っていますが)
「そもそも『愚痴』とはなにか?」
ネットで検索し、「コトバンク」に記載されていた意味には
「① (形動) 仏語。愚かで思い迷い、ものの理非のわからないこと。また、そのさま。三毒煩悩の一つ。無明(むみょう)。愚痴心。
② 言っても仕方のないことをくどくどと嘆くこと。言ってもかえらぬこと、益のないことを言うこと。泣き言」
「愚痴って仏教用語だったんだなぁ」と勉強になったのと
まぁ確かに「くどくど」嘆いているな、と苦笑いです。
意味はなんだか良くない行為に感じました。
だけど「愚痴を話して、共感してもらいたい」
気持ちもあります。
では共感を望むのは悪いことなの?
でも人間関係は共感することで良くなるとも聞くけどなぁ。
疑問が浮かび、同じく意味を調べてみました。
「 他人の考え、主張、感情を、自分もその通りだと感じること。また、その気持。同感」
う~ん、こちらは良いことに思えます。
昔々から
「愚痴を吐いてはならない」
そんなルールを持っていました。
苦しくても辛くても他者に迷惑をかけるから
そんな行為をしてはいけないのだと信じていました。
親に否定されてきたことも関係しているかもしれません。
それがひっくり返った出来事がありました。
ある研修を受けていた時に
指導者が別室で同僚と仕事の愚痴を言っていました。
わたしを含め、数人の受講者がいるのにです。
そのころのわたしは
「わたしたちがいるのにプライバシーとか雰囲気悪くさせるとか、気にしないのかな…」
半分呆れていたのですが、指導者は振り向き
「愚痴はね、言ったほうがいいんだ」
堂々と宣言したのです。
漫画だと雷が落ちたくらい衝撃を受けました。
「言っていいんだ」
「悪いことじゃないんだ」
認識が塗り替えられてから少しずつ周りに言えるようになりました。
配慮として「愚痴を聞いて欲しいんだけど」
と最初に断りを言うようにはしています。
聞いてもらったらお礼も伝えます。
「嫌なことは忘れるようにする」
ことができる人もいますが、同じことをしようとしてもわたしは辛くなるだけでした。
わたしは気持ちを話したほうが合っている気がします。
世の中には愚痴れるサイトもあります。自助グループもあります。傾聴ポランティアもあります。
話せる場・聞いてもらえる場は多くの人に需要があるということです。
「愚痴」って「気持ちを話す」ことですよね。
程度もありますが、ココロを守るためにも
「愚痴が言える」って大事なんじゃないかなと思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。