最近は仕事が忙しく、彼とオンライン面会していないので状況は正確には分かりません。
が、病院から連絡がないところを見るとあまり変わっていないのかもしれません。
これまでで言うと、歩くのは壁づたえに10メートル程度。
酸素吸引あり。
点滴は取れて、ご飯は少しは自分で食べているはず。
前向きな気持ちになって少しでも食べて、少しでも歩く練習をしていることを心から願う。
あれだけエネルギッシュな人間だったのだから、もうこれで最後かもしれないけど、もう一度自宅に戻して普通の生活をさせてやりたいです。

一方、僕は大忙し。
病院を3月6日に追い出されるので(追い出されるという表現は病院に失礼かもしれないが、家族としては期限が決められて急かされるのでどうしてもこう感じてしまう)彼の息場所を決めなくてはならず、これが意外と大変。
行き先の選択肢としては、大きくは療養病院と有料老人ホームがあるのだが、療養病院はリハビリもないので、基本的には極端に言えば死にゆく終の住処。
値段が安いので、自分の将来な母はここに入れたがっていたが、彼の最後の復帰を信じる僕はこれに反対。父に話したところ、父も反対で、母もここが選択肢にないことは恐らく渋々受け入れています。
余談にはなりますが、父は過去5大商社勤め。
今でも会社の恩恵を受け、企業年金が一般的な額よりはきっと高い。
が、下町で貧乏に育った父は、消費意欲が異様に旺盛で(まあそれが彼の生きるエネルギーになってきたのではあるが)、貯金も退職金も含め使い果たし、今回倒れるまで借金もちょこちょこする始末。
僕は小さい時から父が頻繁に、ホルンを買ってきたり、チェロを買ってきたり、車もたくさん買えたりする姿を見てきました。
マニラに滞在していた時は、宮殿のようなところを貸切り、たくさんのサルサかマンボのダンサーを呼び、大学受験の浪人中で夏休みだけフィリピンに行っていた僕にフリフリの洋服をあつらえ、僕もダンスパーティーに無理矢理参加させられたりしたことを覚えています。
なんて日本のサラリーマンというのは幸せな生き物なんだと思ってみてきましたが、子供の僕の知らないところで、母はこの父の異常な消費癖に苦しんできたみたいです。結局、いい会社にいたのに、全く老後を考えず、今、スッカスカの状況になって、母の悩みの種になってしまっています。
ということで、こんな父なので、お金の少ない療養病院に入れたいという母の気持ちも分からないでもない。
でも、これまでの彼を見ると、この一年、ワクチンから始まり、入退院を繰り返しながらも、持ち前のエネルギーで必ず復活しているし、今回コロナで倒れる前も池袋やら銀座まで一人でカートを引いて買い物に行ってたくらい出し、本人にもまだ前向きな意識がギリギリ残されている。だったら、やっぱり、恐らく最後のチャンスにかけてやりたいのです。