森元会長の女性差別発言で、彼が老害と叩かれ、これはこれで年齢差別ではないか、と
いう意見が見られた。
が、これは全くの間違いだと思う。
老害とは、辞書には、
企業や政党などで、中心人物が高齢化しても実権を握りつづけ、若返りが行われていない状態。
とある。
つまり、長年実験を握り続けている状態のことを「老害」と言うのであり、その人が実
験を手放し、世代交代を図れば、その状態はすぐに老害でなくなる。
つまり、老害とは老害状態のことを意味し、年齢ではなく、実験を握り続けている点がこの言葉のポイントだ。
一方、女性は状態ではなく、どうやっても女性のまま変わることはできない。
よって、女性差別は差別であり、老害は差別でないことは明確だ。
なお、老害という言葉には、実はリスペクトが含まれていることも当たり前の事実として認識しておくべきだ。
何故なら、この言葉の前提には、 権力を掌握し続けられている というその人の能力
が含まれているからだ。
うちの高齢の父親もそうだし、きっと僕もそうなるだろうが、99%の人は老害状態になることができず、一部の能力のある人しか老害状態にはなることができないのだ。
老害状態は良くない。でも、老害状態になることができるところまで登りつめたその人の能力や努力は凄いものがある。
こんな基礎的な日本語の当たり前の話はさておき、この前、ある女子大生から、
女性の老害っていませんよね
と言われてハッとした。
きっと探せばどこかにいるのだと思うが、確かに男性に比べると思い浮かび難い。
男性は老害状態になるけど、女性は生き物として老害状態にはなり難いのだろうか?
あるいは、そもそも女性経営者や管理職の割合が著しく低い国、つまり、権力を掌握している女性が少ないから老害状態にもなり得ない、ということなのだろうか?後者が答えなのだとすると、女性の老害がたくさん顕在化してきた時が、本当の男女平等の時代と言えなくもないのは大変皮肉な話ではある。
なお、どうやら正式な言葉では内容だが、老害の対義語に「老益」という言葉(造語?)があるようだ。
平成の時代。日本では高齢化が進み、世界で未曾有の高齢者大国になった。
しかし、令和の時代は更に高齢化が進む。
最も深刻なのは、平成の時代の高齢化は、人口ボリュームが最大の団塊世代がまだ元気な前期高齢者になる歴史であったのに対し、令和の高齢化は、団塊世代が後期高齢者になる歴史となる。
後期高齢者は、平均健康寿命を超えるので、つまり、介護状態になる高齢者が増える、
ということを意味する。2025年問題などと言われるが、もう数年後に、この超深刻な状況がやってくる。
コロナ前までは、この高齢化やそれに伴う人口減少などが日本ではホットトピックであったが、コロナの間に実はこの課題は進行しているのに、多くの人たちの頭から忘れ去られてしまっているような気がする。
令和の超高齢社会、後期高齢者が世界史上最も増える異常な元号において、老害ではなく、老益をどう増やしていくか。
アフターコロナの日本の最大の課題はまさにこれであることを忘れてはいけない。